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千年続く恋なんてないやろと思ってたらあった(完) #白蛇感想

今日も今日とて「白蛇:縁起」の話を書くぞ。

ライビュも無事に終わったのでようやく公式の企画に乗っかりオタクをします。

オイオイ毎日同じような話ばかりして………
「白蛇:縁起」以外の話ができないんか?

A.できません!(大声)


昨日までに本編をちゃんと見た回数が6回になりまして、
そろそろ限界オタク作文ではないシンプルオタク感想文が書けそうなので飽きることなく再びnoteを開いた。なので今回は限界オタク作文ではなく映画の感想文(予定)。

※全て書き終わってなのですが、結局スーパー長文限界オタク作文になってしまいました。

佐久間大介さんのお芝居に関する限界オタク作文はすでに限界突破しておりますので下記ご参照ください。

※注意:かなりしっかりめにネタバレしているのでまだ見ていない人は迂回してください













迂回したかな………この世で一番悲しいことはネタバレされることだと主演声優も言っています………

完全に知らんがな情報をインターネットに放出してしまい恐縮ですが、オタクは限界ジャニオタの傍ら、趣味でシナリオの勉強をしている。なのでどうしても映画を見ると物語の展開とか「登場人物はどうしてこういう感情の動き方をしたんだろう?」とか、そういうかなり勉強チックな視点(普通に見てても思うけど意識強め)で見てしまっていたりするので、そういう面倒くさいオタクの感想文であるということをご理解いただけますと幸いです。誰が読むかわからないこのような媒体なので冒頭でおことわりとして書かせていただきました………。(完)
あと文章は下手です。(それはいつも)
とあるワークショップに通っていたとき先生がおっしゃっていた「観客は感想は自由に述べるべきだけれども批評家になる必要はない」という言葉が半年以上たった今も強く頭に残っているので、今回の文章は作品の分析とか製作者の意図についての考察とかそういう話ではなくてあくまで一オタク個人の感想であるということもおことわりとして書いておこうっと……。こういう意図があったんじゃないか?という考察はしたくないので避けるんですが、オタクはこういう風に受け取りましたわ…という虚妄考察はあります。(メチャクチャ勝手)

前おきが毎回長くて「ネタバレがあります」などと注釈を入れなくても大体の人はブラウザバックをしているはずある。なげえよ。


ようやく本題なわけだが、6回見て改めて思うのは「白が宣を愛してしまった物語」なのかな……ということである。もちろん宣から白への気持ちも確かなものだと思うけれども、いかんせん限られた時間の中で描かれているので、どちらかというと白が宣を「愛してしまった」過程の方がわかりやすく入ってきて、かなり心臓が締め付けられた。よくよく考えてみると(よくよく考えなくてもみりゃわかるのだが)、あのお話二人が出会った日から数えてたった四日間の出来事なのである。白蛇伝自体の二人も(前世の話はあるにせよ)出会ってほぼその日のうちに結婚するという現代ではあまり考えられないドドンパ展開なのでむしろ四日間あるだけいいかとか思ってしまったんですが、白の立場を考えてみると四日とはいえこれは宣のこと好きになってもしゃあないな……という感じだった。(小学生)

これはオタクのガチ虚妄ですが、白蛇伝の前生譚として描かれたこの「白蛇:縁起」のさらに前世で、二人は出会っていたのではないか、などと考えてしまいました。
だって宝青坊の元に白が初めて訪れたであろうときすでに白は妖怪を人間にして人間を妖怪にしたいという望みがあったことがほのめかされていたし、そうなると最初に白が宝青坊を訪れたときからもう宣を探してたんとちゃうん………?????となってしまった。(シンプルにこの争いがいやだっただけなんだろうけども……)(うるさオタク)

パンフレットを読んだ感じだと制作にあたり時間の制約(中国で2時間のアニメ作品はまだ受け入れられにくいらしい)が厳しかったようなお話が書いてあったので、そういう中であれだけのアクションもモリモリにしようとなると白→宣への過程がわかりやすく描かれているだけでもすごい企業努力なんやろな…と思った。

再びマジもんのオタクのただの所感だが、例えば白の心情を描くときって、白のモノローグなんかは不要で、今回の作品で言うと宣がよくしゃべったり動いたりすればするほど、白が宣に惹かれる理由がわかりやすくなると思っている。
だから今回の作品も白→宣への気持ちの変化みたいなものはスッと入ってきたのかなあと思う。白が置かれた状況がわかりやすいというのもあるんだろうけども。
シンプルに宣、いい子すぎるんじゃ。なんであんな優しい子が運命に翻弄され死ななければならないのかがマジで不明。理不尽すぎる。愛のための死とか、もうオタク無理。いや仕方ないんだよ、作品として仕方ないことは分かっているけれども愛のための死なんてない方がいいに決まっとるじゃろがい!!!!!!!ラブストーリーはハッピーエンドに決まってるんじゃないのかよお!!!!!!佐久間大介さんヨォ!!!!!!!!いかんいかん、完全にただの限界オタク作文に戻ってしまっていた。

宣はコミュ強(言い方)なこともあって、村の人のやりとりとかちょっとした白との掛け合いなどの中で彼の性格や考え方なんかはめちゃくちゃ見てる側に伝わってきたので、白が宣のこと好きになっちゃうのもそりゃわかるぜ…同情します…(白に)という気持ちだった。白はがっつり描かれてはいないけれども国司の暗殺も「やりたくないこと」と捉えているようだし、そもそも蛇が人に追われて蛇もまた人に対して牙を剥いて争っているこの状況を打開したかったのかな、などと思う。そんな記憶が朧げにある中で蛇を殺さずに生きていこうとする青年に出会ってしまって、しかも素性の知れない自分にとんでもなく優しくしてくれてってそんなん好きになってしまうじゃろな……。さっきから誰?

突然ながらオタクのガチ恋第一号は犬夜叉の弥勒様で、当時からブレることなくパワーよりも英知で困難を乗り越えるタイプのキャラクターがだいすけ(大好き)なので、宣、めちゃくちゃ好きなんですわ……。だから死んでほしくなかったの!!!!!(うるさオタク定期)

宣のパーソナリティが結構わかりやすかったのに比べて白は彼女とやりとりをする人がせいぜい青くらいだったということもあるし、そもそも口数があまり多くはないキャラクターだから性格が(見ている側的に)どこか掴みどころがなくて、それゆえの儚さとか美しさとかはもちろんあるのだけれど、宣はどうして白のことを好きになったんだろう、という宣→白の気持ちについては若干疑問が残った。いや、わかってる。愛ってのはそういう理屈じゃないもんだということは、わかってはいるのだ。わかってるから6回も見にいってるのに毎度号泣しているのである。

そしてそこでなんですが!!!!!!!!!!(バカ大声)


ここにきて、めちゃくちゃ大事じゃん……と思ったのが声優さんの演技なのである。

声優さんっていうかもうそれ佐久間大介さんの演技なんですけどねーーーーーー!!!!!!!!!
結局限界オタク作文じゃねえか!!!!!!!!!!!!!!


上述したように素人目に見ても、宣→白への気持ちが恋愛感情に発展した理由については、理屈っぽく考えるとなんで……?思えてしまう部分もある。なんで……?というか、まさに劇中で青が宣を煽るセリフとして言っている「姉さん(白)の美貌に心奪われただけ」なのでは?と思えてしまうのである。ただこれは例えばシナリオを読んで描写とかセリフを追って理屈っぽく考えた場合、に過ぎない。

映画は理屈で見ているわけではないのだということを、この映画を見て改めて実感した。人間はそもそも全ての行動が理屈に基づいているわけではないし、そういう感情で動いているときのキャラクターへの説得力って、演者の人にかかっているんだろうなということをね、めちゃくちゃに感じたわけっすわ。もちろん、宣が白を好きになった理由がなんか足りない気がする、と思うのは正直な感想ではあるし、演者さんがどれだけ上手でも多少宣の心情の変化急すぎない!?というツッコミは拭えないし、シナリオを勉強している身として、演者さんの表現力全てを託してしまうのは本末転倒なのでそういう脚本にならないようにしなければならないとか、そもそもこの脚本だって時間の都合上多少無理を通さなければならなかったのだろうとか、そういうことはわかってはいる。

駄菓子菓子、

だがしかし、である。

理由はともあれ宣が白のことを愛してしまって、なおかつその気持ちは本物である、という曲げようもない事実への説得力が、宣の声色で十分に伝わってくるのである。

だからさっき書いた青の「姉さん(白)の美貌に心奪われただけ」というセリフだって、なんなら宣より先に「チッげえよバッキャろう!!!!!!!宣は本気で白のことが好きなんだよ!!!!!!!!!」とスクリーンに殴り込みに行ってしまうのである。殴り込みにはいきませんが……。

だから何が言いたいって佐久間大介さんマジすごくね…?なのである。結局いつもと言ってること変わらねえじゃねえか。反省をした方がいい。

あとこのお話を見てすっげえなあと思ったのは宣のヒーローとしての描き方。これフォロワさんもおっしゃっていたのだが、よくよく見てみるとあのハイスペックなキャラクター揃い踏みの中で、主人公であるはずの宣は明らかにスペックが低い。「ナタ転生」はどちらかというと主人公の腕っぷしがものをいうタイプの映画で、他のキャラクターと比べても明らかに主人公はフィジカルメンタル共に強かったわけだが、宣はそういうわけではない。蛇も苦手だし見ただけで腰が抜けてしまうほどである。いうてしまえばごくごく普通の村の青年である。でも物語を見終わってみて、なんならみている途中だってずっと、宣はこの物語の主人公であり続けていた。見ている側(というか見ているオタク個人の話だが)に「なんじゃこの主人公?」などといった変なフラストレーションを抱かせることもなく、純粋に主人公だった。

それはおそらく上にも書いたように村でのやりとりから滲み出る宣の人となりだったり、白への見返りを求めない優しさなんかが二人で旅をしていく中での一挙一動に現れていたからじゃないかなとオタクは思った。そういう要素が物語通して強く一貫性を持っていたので、宣はただの村の青年ではなく主人公と思えたんじゃないかな、などと……。そしてこれはオタクのたんなる性癖ですが賢いところね……。
最終的に500年前の彼は戦いの中で命を落としてしまうけれど、あの戦いを終わらせたのもまた彼が国司が張り巡らせた陣を立て直したことによるものなので、最後の最後あれだけ強大な敵を倒したのは宣の知恵と機転だったということになる(と思う。白もやられてしまっていたので)。彼は決して「白が恋に落ちた相手」としてのW主人公だったわけではなくて、優しさと勇気と英知で困難を打破するタイプの、蓋を開けてみれば彼もまたれっきとしたハイスペック主人公だったのだろうとオタクは思います。なんだって突き抜けていれば主人公になれるんだよな。そう思っちゃいましたわ。誰?

あとこれはもう全員言ってると思うんですが序盤、リスが白を見て怯えたように逃げ出すところとか細かいわ…となった。

そして何より今更なんですけど「傘」ってメチャクチャ大切なアイテムだったんだなと………。これはマジで今更。しっかり白蛇伝の読み聞かせ企画予習していってたのにすっかり抜けていてもう予習の効果全然出てなかった。クラスクの予習の効果がそんなに出ていなかったラウちゃん以上に予習の意味がなかった。予習した内容すっかり頭から抜けてしまっても流石に6回も見にいくと気づけたので6回見に行ってよかったです。(???)

最後、これ絶対最後に書くべきじゃないんだけどもう文章の順番とかそういうことは考えられないオタクなのでこのまま書きますが、
二人の恋は千年を越えたのか?という問題。キャッチコピーが「千年を超える恋」なのだが、物語を純粋に追うと「越えてるの500年じゃね………?」というマジレス星人になりかけてしまい、いかんいかんとメチャクチャ年代などを調べた。冒頭のシーンから500年前に戻ったシーンで「唐朝末期」とナレーションが入っていてHPにも晩唐の記載があるのでここは動かせないものとして色々調べた結果、もしかしてイッチバン最後のシーンが冒頭からさらに500年経っていて1900年手前くらいということ……!?という結論を見つけ出せそうだったのですが、パンフレットにしっかりと最後の二人が出会うシーンは宋時代と記述があったので(1900年前後は清)オタク解釈は敢えなく散りました。
すなわち純粋に見ている限り物語の中で描かれている時間軸は500年の往来なのである。もうこれは公式がそう言ってしまっているので逃げられない……。

ということで(ということで?)オタクなりに千年続く恋について考えを巡らせたわけですが、この物語が晩唐を舞台にしていて、今が2000年代序盤ということを考えると、二人の恋はさあ、この白蛇縁起から始まり、今も続いているっていうことなんじゃないですかねえ。。。こうして二人の物語が広く世に愛されている時点で、二人は物語の中で生き続けるわけで、二人の恋は出会ったそのときから今までずっと続いているんじゃないんだろうか。そういう意味で、千年を超える恋物語なのではないか、などと。
うんうん。こじつけに聞こえるだろうな。でもいいんだ、オタクの感想なので。作り手が正解を提示しない限り、自分がそう思ったらそうなんだよ、映画というものは。こちら側に解釈の余白を与えてもらえているものは自分なりに咀嚼していこうと思います。そういう意図があったのかは制作者さん側にしかわからないのですが、オタクはそのように受け取りました………。

終わる終わる詐欺オタクなのだが(すみません)、次こそ最後だから許してください……。物語自体が冒頭書いたように「白が宣を愛した物語」だと感じたのに対してバランスをとっていたのが主題歌の『縁 -YUÁN-』だったように思う。中国語の主題歌もそれはもう泣けるのだが本家の主題歌はやっぱり物語の内容にしかり視点がどちらかというと白なので、物語の中からは溢れてしまった宣の気持ちみたいなものは日本語の主題歌に強く乗っているように思った。何度も同じことを書いてしまうオタクなのだが本編は「白がどうして宣に恋に落ちたのか/白蛇伝で白が宣を探すことになった理由(助けてくれた、とかはあるが)」がメインで描かれているから、宣の白に対する気持ちの根っこが描かれる割合はどうしても少し減ってしまう。すごく冷静なことを言うとやっぱり日本語吹き替え版にあたって人気アイドルグループのメンバーが主演のキャラクターの声を当てることになるとなったら、それはそのキャラクターについての描写が補完されるのも自然な流れかな〜などと思った。とにかく主題歌、良すぎである。(語彙)

そしてここで盛大に先程の記述を訂正しなければならないのだが、

二人の恋は千年を越えたのか?などというオタク考察は、全くもって不要だったのである。

なぜか?

宣がこの曲の冒頭で、「千年続く恋に落ちて」と歌っているからだ。

以上。解散。


ふざけんなよ、と思いました?

こちらのセリフである。(売られていない喧嘩を買うオタク)

宣がそう言っているのだ。彼にとって白との恋は、千年続く恋だったのだ。だった、というか、いまも続いていているのだ。いつかでもどこかでもなく、彼がわたしたちの中に存在している限り、彼はずっといまも白のことを思っているのだと思う。

ド痛ポエマーオタクになってしまいました。

歌詞の中には、「花散る季節」や「星の降る夜」が出てくるが、劇中の二人が一緒に過ごす時間はほんの数日間なわけで、もちろん季節の移ろいだとかそういう描写はない。だからこの『縁 -YUÁN-』で描かれているのはおそらく、白が修行を重ねていた500年間、何度も生まれ変わっては白と遠く離れた場所にいる世界線で白を探す宣であると思う。(勝手なオタク解釈です。)

これは制作者の方が何も言うとらんので(というかそもそもここまで全てオタクの虚妄だが)完全なオタクの虚妄なのですが、白蛇伝はそもそものお話自体がさまざまに派生というか分岐というかしているので、それぞれの物語にそれぞれの終わり方がある。そして中国では現代に至るまで何度もリメイクされて新しい物語が生まれていたりという話も聞く。

それはまさに白と宣が、別れを繰り返しながらも何度も巡り合っているという捉え方もできるのではないか、と思えてならないのだ。どこでどう引き裂かれてしまったとしても赤い糸を辿れば何度でもまた巡り会える運命にある二人なんじゃないですかと、オタクは思うのである……。お迎えが近いような気がするくらい気持ち悪い感想文になってしまいました…………。

だから先程『縁 -YUÁN-』は再び白と巡り会うことを願う宣の心情なのでは的な記述をしたけれどもそれだけではなくて、この映画で描かれた二人のその先、そして白蛇伝として言い伝えられている二人のその先も何度も生まれ変わっては巡り合っているんじゃないかと思うわけで、二人の運命はいまもまだ続いてるものなのではないか、という話なんですわ。(ですわ…?)

だってあのお話を見て、今の時代には関係ないとオタクには思えなかった。それに三森さんもおっしゃっていたけれど、いま自分な人生に関わっている人はもしかすると前世でもなにか縁があったのかもしれないなあとか、そういう優しい気持ちがぽっと生まれるような映画だった。それは自分の周りだけではなくて、白と宣にも言えることだ。なんなら白と宣にこそ言えることだ。もう何を書いているかいよいよわからなくなってきたのですが、オタクはとにもかくにも白と宣に幸せに暮らしていてほしいです。(限界)

やっぱりそうだね、いろいろ限界作文を書いていく中で勝手に確信しましたが、いまこの時代まで、2人の恋は続いているんだろうな。だって2人がいまも幸せにくらいしていてほしいなって、オタク思っちゃってるんだもん。
そう思わせられるってことは2人の存在がこの世界にいるかもしれないという可能性を映画がしっかり描いているということだと思うし、『縁 -YUÁN-』はその希望をより強くしてくれているように思う。それは太陽のように燦々と輝くものではないかもしれないけれども、でも僅かな光を逃さないようにと糸を辿る指先には力強さが宿っているように思う。

最初聞いたときは、「儚い悲恋」のイメージが強かったけれど、今となって聞くとこの曲は「信念を持ってわずかな希望を強く手繰り寄せる力強い歌」だと思う。お察しの通りもう限界です、助けてください。

2人の恋は千年を超えていまも続いているし、これからもきっと続いていく。

何度も、無限に2人は巡り会うからだ。

千年を越える恋はたしかにあった。今ここにある。





限界です。助けてください。本当にすみませんでした。限界なので縁 -YUÁN-のMVを見てください……。


公開始まって日も経ってきたが、どうかもっとたくさんの人が見れますように。

オタクもまた見るぞ〜

何度も無限に映画館へと吸い寄せられるオタク〜〜



おしまい


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