生まれ育った島の集落へUターン みかん農家へ転身したバンドマン
大学進学を機に、生まれ育った小豆島、中でも棚田や農村歌舞伎、虫送りの文化など、美しい日本の原風景が残る肥土山を離れ、ひとり大阪へ。
10年ほどの音楽活動の後、バンド解散を経て大阪から小豆島へUターン。
コロナ禍の真っ只中に8年間勤めた地元の飲食店を退職し、みかん農家への転身を決めた。
それが、この記事の主役、文次郎農園の太田翔さんだ。
今回は、大阪から小豆島へUターンを決めた理由、都会と島での暮らしの変化、みかん農家への転身を決めたきっかけ、そして、もうすぐ限界集落となる