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地域で頑張る生産者インタビュー

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瀬戸内海に浮かぶ小豆島、豊島。土庄町地域おこし協力隊として、地域で頑張る生産者さんたちのストーリーを取材した記事。
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瀬戸内の離島で天日塩づくりに魅了された元ラジオディレクター【やりたいことの見つけ方】

「自分の中で確信の持てる直感」に従って、導かれるように人生を決断した経験はあるだろうか。振り返ると、1年半前に私が小豆島へ移住を決めた時も、そんな自分の直感を疑うことなく、流れに乗って決めたように思う。 この記事の主役は、東京のど真ん中のラジオ局で番組制作をしていた元ラジオディレクター。彼は、取材で訪れた瀬戸内の離島、豊島に惹かれ、翌々月には妻と共に移住。さらにその2年後、自身の直感に従って塩ハウスをつくり、天日塩づくりを始めた。 今回は、そんな1組のご夫妻の移住と塩づく

移住で出会った島風景 小豆島の夜を彩る電照菊ハウス

小豆島へ移住して初めての冬。 温暖な瀬戸内気候であるこの島も、今冬の夜の冷え込みは一段と厳しかったという。 そんな冬の夜に車を走らせると、暗闇にぼんやりと光るビニールハウスを時折見かけることがあった。 光りの正体は、「電照菊」のハウス。 電照菊の産地としてよく知られるのは、愛知県の渥美半島。 私が昨夏に移住したここ、小豆島は、いまでこそ「オリーブの島」として認知されるシーンが増えたが、かつて小豆島は日本有数の電照菊の産地として知られていたそうだ。 小豆島の島内あちこち

生まれ育った島の集落へUターン みかん農家へ転身したバンドマン

大学進学を機に、生まれ育った小豆島、中でも棚田や農村歌舞伎、虫送りの文化など、美しい日本の原風景が残る肥土山を離れ、ひとり大阪へ。 10年ほどの音楽活動の後、バンド解散を経て大阪から小豆島へUターン。 コロナ禍の真っ只中に8年間勤めた地元の飲食店を退職し、みかん農家への転身を決めた。 それが、この記事の主役、文次郎農園の太田翔さんだ。 今回は、大阪から小豆島へUターンを決めた理由、都会と島での暮らしの変化、みかん農家への転身を決めたきっかけ、そして、もうすぐ限界集落となる