メモ

フィクションとされるもの(例えばドラマ)とリアルとされるもの(例えば恋リア)の違いに、台本があるか否か(本当の感情か)と終劇があるか否かというのがあって、それは「真実の恋」みたいな理念における縦と横/激情と持続、つまりは一瞬と永遠の問題にそのまま呼応していることに気づいた

Abema恋リア一番人気のオオカミシリーズは、リアリティと言いつつどうせ嘘(台本がある)なのでは、という話を逆手に取って、(人狼ゲームをモチーフにしつつ)絶対に恋しない/相手を騙す「オオカミ」がメンバーの中にいるという「公式の嘘」を入れ込んだ構造だというのがまずあって、

しかしそこからオオカミは台本だけどオオカミへの感情は台本ではないとか、職位は設定だが感情は本当のままに動いたという(本来想定されたものと違う)方向に行っている。

そうするとオオカミというのは最後のカードの開示みたいになり、オオカミであれば終劇(「現実」に続かない)というフィクションのもう一方の枷がクローズアップされるようになる。

で、シリーズ途中から視聴者による「オオカミ投票」さらに「落ちないで投票」というのが追加され、票数が多かったメンバーは脱落する(しかし後者の票数により復活もありうる)のだけど、実はこれはカード開示を回避し「終劇」の枷を解除する(途中脱落で逆に「永遠」になる)システムなんじゃないか

一方で最新シリーズで「(彼が)オオカミなのだったら時間が限られる」という発言が出てきて、これは投票脱落の後なのだけど、カード開示の終劇を回避できない代わりにそれまでの時間をもって(台本を超える記憶や感情によって)「現実」にする、という、システムをさらに転覆させるかなり攻めた発言で

恋リア批判に抗する「公式の嘘」から始まったオオカミシリーズは、「台本」「終劇」というフィクションの二つの枷をどうにかして期間内に解除するゲームへと変わっているんじゃないか、というのが今のところの考察としてある

視聴者としても、オオカミという「嘘」を見破るゲームから、ある種の連帯をメンバーやオオカミを含めてするようになり、脱落投票も終劇回避/永遠への手助けのようになる、そしてフィクション解除のゲームに参加する、みたいに意識が変わっていくのではないか、という期待がある

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