『バチェラー・ジャパン』を観たよ

 Amazonプライムビデオの恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』を観たので、メモと短い感想。

・アメリカで放送された人気番組『The Bachelor』の日本版。『テラスハウス』『オオカミくんには騙されない』と並び国内三大恋リアと称されているという記事も読んだ。
・「バチェラー」と呼ばれるたった一人のハイスペック男性の愛を射止めるため、20人(シーズン1は25人)の女性が参加する。各回ごとに数人ずつが脱落してゆくサバイバル形式。
・バチェラーは各回の最後の「ローズセレモニー」で、女性たちの名前を呼んでバラの花(ローズ)を渡してゆき、渡されなかった女性はその時点で脱落となる。
・「ローズセレモニー」とは別に、パーティーやグループ/ツーショットデートなどの間に、バチェラーが望めば相手にローズを渡すことができる「サプライズローズ」システムがある。その女性はローズセレモニーを待たずに次のエピソードへ進むことが保証される。
・2on1という特殊ルール。バチェラーが2名を指名して3人でデートし、そのデートの最後にバチェラーが選んだ1名にはローズが渡されるが、もう1名はその時点で脱落となる。
・各回、バチェラーの指名によるグループデート/ツーショットデート→全員参加のナイトパーティー→ローズセレモニーという流れが基本。回が進むと、沖縄に行ったり海外に行ったりと全員泊まり込みのロケがあり、総じて予算が潤沢でありラグジュアリーな雰囲気を保っている。最後の数回は、バチェラーが女性の実家を訪問/女性がバチェラーの両親に会うなどの家族イベントが入る。

 ローズを渡してゆくことによって次のステージに進む者が決まる、というルールがミソになる。20人から1人を選ぶ、という単純な形式でなく、その回ごとで数人ずつが脱落していく、というシステムは、たびたびコメンテーターが「一般社会ではない」と言うように、恋愛/恋愛リアリティとは異なる倫理が働く。メンバーは一番を狙うのではなく、ローズのボーダーを回避するような行動をしばしば選択する。「バチェラーの顔を見てもローズのことばかり思ってしまう」「ローズが渡されている以上は平等」といった印象的な台詞が発せられる。
 逆に、「一番でないのならこの場で振ってほしい」とシステムを省略した恋愛的倫理を要求するメンバーに、ルール上できないとバチェラーが困惑するシーンもひじょうに心に残った。

 『バチェラー・ジャパン』は『オオカミくんには騙されない』のような、いくつものルールが設定されたゲーム的な恋リアに分類されるとは思うが、一つ違うのは、グループデート/ツーショットデートの相手の設定やデートの内容、各回での選抜基準など、ルールの多くがバチェラー自身が規定している所にある。ゲームマスターとプレイヤーの恋愛リアリティものと言ってもよい。
 一方、番組の中でバチェラーができる感情の発露は、ほぼローズを渡すことに集約される。快か不快か、興味があるかないか、どのような点を好ましく思っているか、もちろん番組内でも語られるのだけれど、結局はローズを渡すか渡さないかの選択しか残らない。どんなにツーショットのデートで感銘を受けたとしても、「サプライズローズ」以上のことはできないのだ。(女性メンバーたちはあけすけにバチェラーへの愛を語り、他のメンバーを批評する。それはローズに縛られていないからだ)。全能性と表裏の不自由さが、全編を観ていちばん興味深く感じた。
 「バチェラー」シリーズは本国で20シーズン以上、さらに30か国でローカル版が製作されているとWikipediaにはあるけど、そのうちのどこかに「貴方は薔薇を渡すことしかできないんですね、可哀想な人」と女性が告げて去っていくやつあってもいいと思う……。


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