結局愛にしか生きられない

前述 

 数回の発作を繰り返しながらも息を途絶えさない母を素直に尊敬する。本人は楽に死にたいと倒れる前からずっと言っているが、その言葉には反して生命力は人一倍、いや、十倍くらいあると思う。

 当たり前だけれど私は母に死んでほしくない。たった一人の母親だから。
 母ちゃんが倒れてからいろんなことを考えたり、思い返したりする毎日だ。私の思い出の中には大体、常に家族の存在がある。仲の良い家族だったのだろう。決して裕福ではなく、むしろ貧乏だし、四人が仲良しなんて思ったことはなかったけれど、今になって思う。恵まれていたんだな、と。
 私は父に比べると母のことがあまり好きではなかった。(これは今でも、比べるとそうかもしれない)反抗期が母に来るタイプで、それは過ごした時間が多かったのもあり、お互い気が強いのもあったと思う。高校を卒業して、社会に出て、母が癌になり、一人暮らしをしてみて、両親の偉大さをようやく知った。母は愛情深い人間で、所謂メンヘラ思考を持つ側だ。あなたのメンヘラはどこから? と聞かれれば、私は迷いなく母からと答えるだろう。母は私を愛している。これは紛れもなく事実であるし、私も母を心の底から愛している。

 辛くなって泣いてしまった時にいつも思い出す言葉がある。

「泣くなら帰れ」と「まゆなら大丈夫」だ。

「泣くなら帰れ」は私が3歳〜18歳まで取り組んだバトントワリングの練習最中に、先生である母に幾度となく言われた言葉だ。今思うと小学生には厳しすぎる指導だったと思うのだけれど、そこで行われたスパルタ教育によって社会に出てからあまり苦労することがなかった。親の顔が見てみたいという言葉の本質はここにあるのかと思う。気づけば人材を育成する側になって四年が経過するが、親の躾って本当に大切だなと痛感することが多々ある。その度に母ちゃんが厳しく育ててくれてよかったなと思うのだ。今はあんまり、仕事で泣くことがないのでこれを思い出す回数は減った。来年からは増える予定。

「まゆなら大丈夫」は具体的にいつから言われていたかわからない。小学校最後のバトンの発表会の前。その後の大会の直前。就職試験の朝。入社後研修で心が折れて泣きながら電話した時。出張で度々家を離れて仕事をして弱音のLINEを送った時。ヘルニアになった時。様々だ。
 母ちゃんは強い言葉を使うタイプで、「絶対」とか「必ず」とかを使う人だ。「まゆならできるよ、必ず」「まゆなら絶対大丈夫!」根拠のない言葉に、何度励まされて、救われてきただろう。私はこれらを、最近は、大事な会議の前、やらかしてしまった後の出勤直前、新しい仕事のリーダーに抜擢された時などに思い出している。


 母の死について考える。明らかに長くはない。もう一ヶ月か、二ヶ月か。もしかしたら今かもしれない、明日かもしれない。それくらい逼迫した状況だ。
 母が倒れた日、あまりにも突然の事で、意識が朦朧としている母の前で声を上げて泣いた。「死なないでよ」「母ちゃんがいないとまゆ生きていけないよ」今思い返すと自分勝手なやつである。けれど、本音でもあったんだと思う。母親がいないってどういうことか、私には未だに想像がつかない。母が入院して40日程経過した今も、わからないのだ。
 もう寂しい夜にLINEしても返ってこない。両親が死ぬ夢を見た朝に電話しても生きてるよって笑って言ってくれない。この服変かな?って聞いても正直に答えてもらえない。洗濯機を買わなかった私に三日に一度「洗濯物は?」ってLINEをしてきてくれるわけでもない。ああだこうだと他人の悪口で盛り上がることもない。父に比べて雑で下手な卵を一個しか使わないオムライスをつくってくれることもない。

 もう全部ないんだって思う度に悲しくて泣いてしまう。そうして泣いてしまう度に、ふたつの言葉を思い出す。
 私の中に母の言葉が生きている。これは、母が死んでも、ずっと生き続けるのだろう。私はそれがとても嬉しい。これは私が母に愛してもらった結果だから。


 どうして生きているの? と聞かれたら、愛したいし、愛されたいから。と答えている気がする。私は異常なくらい相手に喜んで欲しいと思う質がある。してあげることで、必要とされたい。愛することで、愛されたい。誰かを救うことで自分が救われる。そういう思想を持っている。
 これは、紛れもなく両親の育ての中で生まれた感情だと思う。私の愛は両親が与えて育ててくれたし、この愛は、ふたりがいつかいなくなってもずっと私の中で生きる。

 だから兄のことを嫌いになれないのだと思う。どうして大嫌いになれないのって何回も思ったけれど、私が愛に育ったからだと思う。お兄ちゃんは、同じ愛を降り注いでもらっているはずなのに、私とは違う生き方をしたみたいだけれど、それでも。私はお兄ちゃんのことを嫌いになんかなれないし、どんな酷いことをされても結局好きだと思うんだろう。お兄ちゃんにも愛があるはずだと、信じることをやめられないのだろう。だって、同じ愛を与えられたんだから。

 お兄ちゃんへ。酷いこと沢山言ったり鍵垢に悪口書きまくっててごめんね。可愛くなくて、我も気も強くて、理想の妹じゃなくてごめんね。お兄ちゃんにされた酷いことも言われた酷いことも本当に最悪だから忘れることなんてできないけど、ごめんねって一回謝ってくれたら全部許せるよ。そしたらさ、仲直りしてさ、すっごい昔みたいに一緒にゲームしようよ。実は私もにじさんじ好きなんだよ。お兄ちゃんと推しは全然違うけれど。お兄ちゃんの配信活動だって普通に応援してるし、働き方に干渉するつもりは全くないよ。お兄ちゃんは私のこと大嫌いだけど、私はお兄ちゃんのこと大好きだよ。困ったときに、頼ってきてもいいよ。しょうがないから助けてあげるよ。だから、だからさ、お兄ちゃんも母ちゃんにもらった愛をさ、忘れないで、殺さないでよ。お願いだから、ね、お願いします。母ちゃんの残り少ない時間の中で、私達にできる望みは叶えてあげようよ。こんなに立派に育ててもらったじゃんか。呪いみたいに母ちゃんに繰り返された言葉もさ、その内ひとつくらいは呪いにかけられてあげようよ。いちばん簡単なのは「まゆと仲良くね」だと思うな。どうかな。興味もないかな。でも、お兄ちゃん、ひとりで生きてるわけじゃないんだから、ちょっとは歩み寄ってほしいよ。いつも説教くさいと思ってるかもしれないし、私の存在は抹消しているみたいだけど、これが本音だよ。

 言えない気持ちの供養と、心の整理も兼ねて。


 母の死について、兄との今後について、自分のやりたいことと現状の食い合わせの悪さについて。考えることは山積みで、何も決まらないまま生活だけに手一杯で日々が過ぎていく。これは母が死ぬまでずっと続くだろう。精神的に余裕はなくなるし、好きなことをひとつも出来ない日々だけれど、それでも、私は、この日々が一日でも長く続くことを願っている。

 結局愛にしか生きられないけど、わたし、それが幸せだよ。生まれ変わったら愛になりたい。って思うくらいには。

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