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ベルセバになりたかった話

中学生の時、いろいろな音楽を我先にと知るのが楽しくて、気になるミュージシャンを友達どうしで教えあっていました。その中でベルセバを知りました。1999年頃だったと思います。

友達のお兄さんのお気に入りのバンドで、曲がかわいらしくて男女のボーカルがいることが特徴的だと思いました。ジャケットもかわいかった。編成を訊くと、あんまり固定的なメンバーやパートではなくて、アルバムによって複数の男女がセッションしているとのことでした。私はその自由なスタイルに一瞬でめちゃくちゃ惹かれ、何それ最高じゃんと答えていました。私もそんな風に音楽やりたい。または、そんな風に働きたいとぼんやり思いました。当時は検索する習慣がなかったので、彼らが本当にそんなスタイルで活動してたかどうかは、確かめられなかったのですが。

高校に進学して軽音部に入り、3年間で数えきれないほどのバンドを掛け持ちしながらコピーをしました。色んなパートを担当して、色んな音楽を覚えた。

その後社会に出て会社とか色んな組織に属してきましたが、今じつはベルセバみたいに働けてると思います。正確には、ベルセバみたいに働ける環境にいます。やりたいことや実現したい社会のイメージを共有して、できることのあるメンバーが何人か、いろんなボーダーをこえて集まってくる。

そして高校時代のバンドのご縁で、趣味で音楽もやれています。ブランクがあっても、力の入れ方と抜き方がわかるのは、筋肉が若い頃に練習した成果だと思います。

ベルセバに憧れてから18年後(たぶん「夢千代日記」の再放送を見てからも同じぐらいの年月が経った)、「カルテット」というテレビドラマにはまるのはわりと必然だったのかもしれません。好きな仲間と音楽をやること、仕事にするか趣味にするか、夢と現実どちらを追いかけるか。

早乙女真紀「死ぬなら今かなってぐらい、今が好きです」 

真紀「自分の気持ちが、音になって」別府司「飛ばす」真紀「そう!飛んでいけーっていうの」家森諭高「分かります。音に飛べ、飛べ」世吹すずめ「届けって」真紀「あの感じがね」ーー(「カルテット」より)

生きている時間に、触れてふるえている空気に、この気持ちを込めたい。(おれのこの気持ちを。)しかしそれがなんと難しいことか。全力で走り続けるのは若さの特権かもしれないけれど、「いま全力を尽くしてる」と胸をはって言うことは大人にだってできるはずです。

大きくなったらベルセバになりたい。それをいつ自分の中で非現実に、夢にしてしまったのでしょう。「大きくなったらベルセバみたいになれる。そしたら何しよう?」そのことだけを考えなさいと、15歳と現在、2人の自分に言い聞かせます。

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