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もうすぐ桜が咲きます

2023年も、もう2ヶ月過ぎたらしい。
早すぎてまだ2022年の残像が見える。

2022年はまあ本当に色々あって、ちょうど今と同じような時期に、生まれて初めて花粉症を発症したかと思えば、至るところで桜が綺麗に咲いていて、4月の初め、桜も満開の頃に祖母が亡くなった。
緩和ケア病棟にいる祖母に私が送った桜の写真には、既読だけが付いていて返事は返ってこなかった。もちろん今も。

祖母は真面目な人だった。学生の頃に母親を亡くして、高校を卒業してすぐに某生命保険会社に入社して、定年を迎えてからも追加で1年働くほどに、真面目で一生懸命な人だった。退職して何年かして、私が高校2年生の頃に祖母に癌が見つかった。

そこからは通院や入院を繰り返して闘病していたけれど、最初のうちは特に大した変化もなく、割と普通に過ごしていたように思える。

私も無事に高校を卒業して、祖母の反対を押し切って進学した。反対していた祖母も、いざ私が大学に通うのを見ると「これからいっぱい勉強してね」とか、喜んでいた。私もそれが嬉しかったから、それなりに頑張った。

でもまあ本当にここでも色々あって、たった1年で大学は中途退学。祖母も心底残念そうにしていた。今でも、申し訳なかったと思う。

中退後、すぐに働くところが見つかって働き始めた。そこで約3年。そして4年目の春に、祖母が亡くなった。呆気なかった。3月の頭に緊急入院をして、半ば頃に緩和ケア病棟に移り、4月の頭には亡くなってしまった。

私が最後に生きている祖母を見たのは、緩和ケア病棟に移る前の病院で、着替えやオムツを持っていった時。
コロナの影響で、近くで話すことはできなくて、ナースステーションの前まで看護婦さんが車椅子を押して祖母を連れてきてくれて、距離を取って少し話した。「ありがとう」と、笑う祖母。少し痩せて、車椅子でしか移動できなくなっていた祖母を見て、漠然とした不安感に襲われて涙が出そうになった。でもいま祖母の目の前で泣いちゃダメだと思い、着替えを渡して「またね」と手を振って、見えなくなるまで車椅子に乗って手を振る祖母を見ていた。

エレベーターに乗った瞬間に堰き止めていた涙が零れ出して、焦って急いで拭った。しっかりしろと、春の生ぬるい外の空気を浴びて、自転車に乗って帰路に着く。けれど、しっかりすることなんてできなくて、自転車に乗りながら沢山泣いて帰った。空も曇っていたのを覚えている。

それが最後に見た祖母。
次に会ったのは霊安室だった。こちらもコロナの影響で、緩和ケア病棟では1親等の親族以外は看取ることも出来ず、私は霊安室で冷たく硬くなった祖母と何日かぶりに対面した。怖かった。人の亡骸を見るのは生まれて初めてだったし、それが自分の祖母となると、現実味も無くて、酷く戸惑った。

触ると本当に冷たくて、両手で祖母の手を暫く握っていたけれど、一向に私の熱は伝わらなくて、むしろ私の手が冷えていくのを感じて、もうどうにもならないことなのだと、それは段々と現実味を帯びてきた。

よく見ると、そんなに痩せこけてもいなかったし、心なしか表情は穏やかで、だからこそ、本当に死んでいるのか?と、何度も疑った。小さく呼び掛けてみたり、顔に触れたりもしてみたけど、当たり前に返事などしないし、動きもしなかった。

なんやかんやで、火葬場に向かう霊柩車も見送って、次に会った時はもう人の形も留めていない骨と灰になっていた。これがばあちゃん?なんて、まだ疑っていたけれど、私はこっそりその骨の欠片をポケットに忍ばせて、今も勝手に保管している。

ばあちゃんの死後、何日かはばあちゃんの夢ばかり見た。生き返る夢、そもそも死んでいない世界線の夢、死んだばあちゃんと過ごす夢。どれも目覚めた時の寂しさは計り知れないもので、目が覚める度に泣いていた。でも1年が経とうとしている今、もうばあちゃんの夢は見なくなっている。

生前のばあちゃんとは、よく言い合いになった。色んなことにおける価値観が、あまりにも噛み合わなくて今思えばくだらないことでも白熱していた。このわからずや!なんて思いながら拗ねた日もあったし、向こうからは断固として謝らないその姿勢に余計に腹が立ってなかなか口を聞けないこともあった。

ただ、味方をしてくれることも多かった。私が精神的限界を迎えて本気で死のうとした時、ばあちゃんは泣いていた。辛いのは私なのに。泣きたいのは私なのに。どうしてあなたが泣くの?と思いながらも、多分嬉しかったんだと思う。正直その頃のことはあんまりよく覚えていない。

あの時に私が死ななかったから、ばあちゃんは私より早く逝ってしまったけど、私もまだまだ今後どうなるかわかったもんじゃない。メンタルの雑魚さは一級品で、また血迷って死のうとするかもしれない。泣きながら遺書を書くかもしれない。突然轢かれるかもしれない。明日、というものは絶対的に訪れるけれど、その明日を最後まで生き抜く保証はない。

死んだばあちゃんは、今私が死のうと柵に手をかけたら泣いて止めてくれるんだろうか。その声は果たして私に届くんだろうか。死人に口なし、その通りである。きっとどんな奇跡が起きようとも、死んだばあちゃんに私の自死を止める術はなにも無い。

ただまあ、今は特に死にたい気分でも無いのでまだ生きていようと思っている。大丈夫、柵に手をかけることは少なくとも向こう1週間はない。そちらでまだのんびりゆっくり過ごしていてちょうだいよ。

もし、もし予定より早くそっちに着いてしまうことがあっても、その時は怒らんといてね。泣いてもいいけど、怒らんといて。私は怒られるんが1番嫌いやから、嘘でもいいから久しぶりって声掛けてや。あの世でくらい仲良くしよな。白熱バトルはもういいや。

今年もそろそろ桜が咲く。
去年のあなたが、見頃の桜を見れたかどうかはわからないけれど、私は桜を見る度にあなたを思い出すんだろうと、思っています。3月26日、桜の日より1日早く生まれたあなたなら、きっと満開で見頃の桜を見れたのだと、そう願わずにはいられません。

未だ返信の無いLINEに、いつか「綺麗に咲いてるね」というメッセージが届くのを、ずっと待っています。

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