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8628

 生きていると、死にたくなる日が幾度となく訪れる。きっと私だけじゃない。これを読んでいるあなたにもきっとそう思った日が、そう思った瞬間があったと思う。

 限界が来たとき、死にたいと声に出すと祖母は決まって泣いた。どうしてそんなことを言うのかと。祖母は癌を患っていて、完治は難しい状況にあった。それでも毎日を祖母なりの一生懸命で生きていたのだと思う。そんな祖母からするとどこからどう見ても健康な私が「死にたい」なんて言うもんだから到底理解などできなかったのだろう。

 でも私は、祖母が病気に苦しみながらも生きていることと、私がつらくて死にたいことに何の関係があるのかと毎回不機嫌になった。その考えは祖母が他界した今でも変わらない。

 「生きたくても生きられない人がいる中で死にたいなんて言うな」と叱る大人を沢山見てきた。生きたくても生きられない人がいると、死にたいと思っちゃいけないらしい。そんなわけあるか。生きたい人が沢山いるように、今この瞬間どうしようもなく死にたいと思う人もいるのだ。それを叱る人間は、死にたいと思わない自分をただ幸せだと思って生きていればいい。今この瞬間に"生きたいあなた"と"死にたい私"では分かり合うことはできないのだ。

 そんな風に今までの人生の中で何度も死にたくなった私だが、今こうしてPCに向かって記事を打ち込んでいる。今の私は間違いなく生きている。生きたくて生きているかと聞かれれば答えることはできないが、あの日泣きながら遺書を書き殴った私も、マンションの10階で靴を脱いで柵に手をかけた私も、祖母の前で初めて死にたいと告白した私も、今は無様に生きている。

 "あの日死ねなかった死にぞこない"の気分で生きていると、少し気が楽なのだ。

 なんだかんだ、今日で生まれて8628日になる。なんだか数字で見ると立派に思える。地道にこの数字を大きくして30000日くらいまで生きたいかも。82歳なんて数字よりもっと立派に見えるな。うん、かっこいいから30000日以上生きてやろう。

 なんて、死にたいと簡単に口にすると怒られる世の中だけれど、生きる理由なんてこれくらい簡単でいい気がする。きっと誰にも怒られないよ。生憎私は8628なんてちっぽけな数字で満足できる女ではないから、もっと数字でっかくして、スカウターで読み取ってきた相手の腰抜かしてやろうと思う。

 今はまだ、戦闘力8628。

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