見出し画像

桜流し


 満開になったなぁとか思っていたら、あっという間にみどり色の葉が見え始め、見頃の時期に桜をカメラロールに閉じ込めて満足した人達は、足下に広がる桜色の絨毯が踏みつけられて汚れ始めても気にしない。
 私はちょっと寂しかった。それこそが桜の良さなのだと理解はしていても、雨風に撃ち落とされて踏みつけられていく様を見ていると寂しかった。

 そんな中でも、人に踏まれること無く川の流れに乗って流れていく桜を見ていると、何故か私は救われたような気持ちになった。

 先週、祖母の一周忌が終わり、桜散る中で私はまた祖母を思い出していた。
 祖母とのLINEのやり取りを見返していると、喧嘩していたり私が偉そうに生意気を吐き捨てたりしていて、こいつ愚かだ〜とか、他人事みたいに思いつつ、今まで色んな媒体で聞いてきた「失ってから気づく大切さ」とかいうものを実感して、そんなもんクソだなと中指を立てた。や、別に立ててないけど。

 昔からひねくれ者の素質があったのか、私は「失ってから気づく大切さ」とやらのクソさを提唱していた。は?失う前に気づけないワケ?雑魚すぎウケる(笑)愚か愚か(爆笑)といった感じで。

 どうやら私も愚か者だったらしい。

 人は失ってからしか、様々なことに気づけないんだろうか?だとしたら本当に愚かだ。その人の優しさに胡座をかき、小さな言い争いの積み重ねの上、謝りもしないでなぁなぁになっていたことがいくつあっただろう。

 亡き祖母に謝るにはどうしたらいいのだろう。墓石の前で土下座をすればいいのだろうか、南無阿弥陀仏を唱え、祖母が極楽浄土へ行けるように祈ればいいのだろうか、許してもらえるだろうか。返事が無い以上、私はいつまでも許されないような気がしている。  
 私がいずれ息絶え、祖母に追い付いてそこで初めて返事を聞けるのだろうか。そもそも私はきっと地獄行きだろうな。極楽浄土へ行けるほど、善人では無い。もうあの世でも祖母には会えないのだろう。

 今祖母に会えたらまず最初に謝りたい。数え切れないほどの迷惑をかけたし、心配をかけたし、泣かせた。全てを謝りたい。許されなくてもいいから。と、思うのはきっと自己満足でしかないんだろうな。
 それでも、そうしないと私はきっとこれから何度でも思い出して、その度に後悔して、届かないごめんなさいを繰り返す。

 祖母も頑固な人だった。普段は温厚だが、機嫌が悪いとそれが顔や態度に出てしまう人で、私はそれが心底腹立たしかった。どう考えても祖母が悪い事案が発生しても、祖母は自分の非を認めない人で、恐ろしく頑固だった。
 だから同じような性格の私とは何度もぶつかったし、テレビのニュース一つで意見の不一致が起こって口を聞かないこともあった。
 そうなるとどちらも意地の張り合いで謝ることなんてしないし、次第にくだらないと一蹴してまた何事も無かったかのように会話をする。

 私と祖母はそんな孫とばあちゃんだった。祖母に言われて嫌だったことは今も覚えているし、アンタも謝ってくれよと思っている。
 それでも、今それができるのは残された私だけだった。祖母の声など私の耳に届きやしないが、私の声はもしかしたら向こうに通じているかもしれない。
 私はこれから先もごめんなさいを何度も繰り返して、許される日をひたすら待つ。

 いつか許してもらえたら、私も幸せになれますか。愛し愛されの人生を送れますか。貪欲だけど、貴女に貰っていたような愛を、私はまた誰かから受け取れるでしょうか。与えられるでしょうか。
 この先、私は幸せになってもいいですか。

 こんなにあれこれ書いておいてなんだが、私は神様も仏様も何も信じちゃいない。そんなものがいるのなら、誰も自殺などしない、いじめなど起こらない、と思っている。

 だからこれは全然、一切、まったく思ってもいないことだが、神様、もう一度だけでいいので祖母に会わせてください。抱えきれないごめんなさいとありがとうを、祖母に伝えさせてください。




 愚か者、と怒られるかも。



 この世の私が住むここでは、桜は見頃を終えました。3月27日、お誕生日おめでとう。4月3日、1年越しのごめんなさい。いっぱいいっぱいの愛をありがとう。

 散りゆく桜と共にあなたの元へ流れ届きますように。

Everybody finds love in the end
桜流し/宇多田ヒカル

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?