エドワード・ルトアックの戦略論

『エドワード・ルトアックの戦略論』を読んだ。地点Aから地点Bまでの間に歩きやすい道と歩きにくい道があったとき、日常の論理では歩きやすい道を選択する。しかしこれが戦争になると、歩きにくい道を選ぶのが正解になる場合がある。なぜなら、歩きやすいということは、こちら側がその道を通るということを敵に予測されやすく、それゆえ待ち伏せに遭いやすいということを意味するからだ。つまり、日常的感覚では正解となる判断も、こと戦争になると不正解になることがあり、これを『戦争における逆説』という。

『エドワード・ルトアックの戦略論』では、この『戦争における逆説』を軸に、戦争における戦略論が説明される。

戦略を考える上では、戦争に関する要素を、技術、戦術、作戦、戦域戦略、大戦略、という五つのレイヤーでとらえる必要がある。

一つ目のレイヤーである技術とは、たとえば兵士が持つライフルの性能や、戦車や戦闘機、大陸間弾道ミサイルのスペックを意味する。ひらけた平野での西部劇風の決闘を考える。マシンガンを持った人間とナイフを持った人間がいたとして、彼らが互いに戦ったとき、マシンガンを持った人間が勝利する。なぜなら、マシンガンは遠距離からの攻撃が可能な武器であるのに対し、ナイフは敵を殺傷するためにまず接近する必要があるからだ。この、単純な武器の性能の差は、技術というレイヤーで説明することができ、単純に同条件のもとでの戦いであれば、より性能が高い技術=武器を保有する勢力が勝つ。

二つ目のレイヤーである戦術とは、技術の使い方のことだ。先ほどの戦いでは、ナイフはマシンガンに勝利した。なぜなら、単純な同条件のもとでは、飛び道具であるマシンガンのほうがナイフよりも強いからだ。けれども、もし仮に技術を教えるのがとてもうまいナイフ投げマスターがいて、その下で学べばどんな兵士であっても非常に高い精度でナイフ投げをマスターできるとすると、今度はナイフがマシンガンに勝つ可能性が高くなる。なぜなら、マシンガンを持つ人間は相手が極めて高い精度でナイフを投げてくるとは知る由もないため油断しきっているからだ。つまり、ナイフ投げという戦術を導入することで、マシンガンという技術に対する圧倒的な差を覆すことができるわけだ。

ただし、ここで注意しなければならないことは、ナイフ投げという戦術が成功した要因は、あくまでそれが不意打ちであったためだ。マシンガン側には、ナイフは単に切りつけるための接近武器であるという固定観念があったため油断をし、急に投げられたナイフが刺さって殺された。事前に相手がナイフを高精度で投げることができるという情報を持っていれば。ナイフを投げる暇も与えずに撃ち殺してしまうことだろう。一つの有効な戦術が発明されたとしても、その戦術が広く知れ渡ってしまえば、それを封じ込めるための別の戦術が生まれる。つまり、戦術の有効性は、相手の固定観念の裏をいかにかくことができるかで決まってくる。この裏をかくという考え方は、冒頭に述べた『戦争における逆説』とも密接にかかわってくる。先ほどの決闘において、近接武器であるはずのナイフを投げる戦術が編み出されたように、戦争においては、敵はこちらが当然と思いこんできた理屈の裏をかいてくることになる。

戦術の上にある3つ目のレイヤーが作戦だ。これは、複数の戦術の組み合わせからなる。例えば、こちら側に、ナイフとマシンガンの二種類の武器があるとする。これらの武器を使って勝利を収めるためには、ナイフとマシンガンという二つの武器の特性を使い分けて戦闘のプランを練る必要がある。たとえば、ナイフを持った味方が敵の前に躍り出て、注意を引き付ける。ナイフを振り回して威嚇し、敵を自分の周りに包囲させている間に、マシンガンでナイフの味方ごと敵をせん滅する。これにより、ナイフの味方は死んでしまうが、同時に敵の全軍もせん滅することができる。この作戦は、ナイフ単体、あるいはマシンガン単体では成り立たない。武器としては有効だが、しかし遠距離の敵を倒すことはできないナイフという囮の役割と、それ単体では警戒されるため通常の状態では敵を一網打尽にできないが、囮であるナイフの存在によって引き寄せられた敵全員を皆殺しにできるマシンガンの役割は明確に異なっている。

作戦の上にある4つ目のレイヤーが戦域戦略だ。これは、領土と結びついた形での軍事力の評価だ。戦争は土地の上で行われる。百キロメートル先に攻略目標である敵の首都があり、そこまでの道を阻むように山岳地帯が、さらにその手前には広大な平野が広がっているとする。このとき、敵首都を攻略するためにはどのように部隊を展開すべきか?まず歩兵で平野を制圧して前線基地を作り、そののち山岳地帯を拓いて首都へのルートを確保するというのも方法だし、制空権を確保したのち爆撃機で敵首都に空爆を行った後、戦闘ヘリコプターを伴った兵員輸送ヘリで兵士を直接送り込み制圧するという手段もありえる。あるいは防御側は、攻撃側が山岳地帯の存在を考慮してヘリ部隊を投入するだろう、と予測して事前に百基の対空ミサイルを用意するかもしれない。いずれにしても、これらの作戦は、首都の前に存在する山岳地帯と平野という地理的条件を前提に組み立てられる。環境や地理的条件が変われば、その場所を攻略するための有効な手段も変化する。すなわち、どのような条件でも有効な作戦は存在しない。戦略において、この地理的条件を考慮に入れたレイヤーが戦域戦略となる。

あらゆる戦略の最上位に位置づけられる5つ目のレイヤーが大戦略だ。これは、国家間の政治バランスを考慮に入れたレイヤーだ。たとえば、Aという国がBという国に宣戦布告しようとしている。このときAが考慮に入れるべきは、Cという国の存在だ。CはBの同盟国なので、AがBに宣戦布告すれば、CはB側につく可能性が高く、そうなればAはBとCの二国を敵に回して戦うことになる。大戦略のレイヤーでは、このように、単純な戦闘行為だけでなく、国際政治関係を考慮に入れた立ち回りが必要となる。興味深いのは、作戦あるいは戦域戦略のレイヤーにおける勝利は、大戦略のレイヤーにおいては敗北の要因となる可能性があるという点だ。たとえば、旧日本軍は、真珠湾の戦いにより、局地的には米国に大勝した。しかし、その圧倒的な勝利があったために米国の国民感情は日本に対する寛容さを失い、そのことが、ゆくゆくはのちの原爆投下、日本の敗戦に繋がることとなった。すなわち、戦争においては、『その戦闘に勝ってしまうと、最終的には負けてしまう戦闘』というものが存在する。このこともまた、『戦争における逆説』における一例である。

みたいなことが書いてあった。わりと面白かったけど400ページくらいあってくそ長いので暇人にはおすすめ。

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