フリークス

 池袋駅のホームで渋谷行きの山手線を待っていた時、「コスプレフェス 着替え・荷物置き場利用証」と書かれたシールが目に入った。私の前に並ぶ女性のカバンに貼り付けられたものだった。

 ベージュのロングコートに緋色のフェルトハットという落ち着いた後ろ姿には、「コスプレフェス」という言葉はちょっと似合わない。ハロウィンのモチーフである濃いオレンジと紫も、淡い水色のバッグの上ではひどく浮いて見えた。

 バッグをよく観察すると、シンデレラの一場面がプリントされていることに気がついた。舞踏会の行われた大広間、王子様の元へ続く階段からホールを見下ろすシンデレラの視線の先で、「コスプレフェス」のシールに首から上を分断された継母たちが所在無さげに立ち尽くしている。


 私は彼女のコートの下を想像した。ハロウィンと言えば魔女やお化けの仮装が定番になりそうだが、最近ではそれはむしろ少数派になっている。人が多く集まる場所では、制服や民族衣装、アニメの登場人物に加え、それらの服によくわからない装飾を付けまくってとにかく目立つことを目的にした輩もしばしば目につく。

 その中でも特に今年は、血や傷をモチーフにした格好をよく見かけた。そういうグロテスクなグループが列を成して繁華街を闊歩している様は本来の仮装とは違った意味で不気味だが、すごいのは終電間際だ。カラフルな衣装に祭りの後の陰鬱な面持ちをぶら下げた連中がのそのそと電車に乗り込んでくる様は、さながら亡者集まる百鬼夜行となる。

 そんな地獄絵図には似つかわしくない彼女の小さい背中を眺めているうちに、私はコートの下にシンデレラのドレスを想像した。バッグのプリントそのままの安直な着想だが、近頃のハロウィンにおける定番から言えばヒロインの仮装はあながちナンセンスでもないだろう。もしそうだったなら、大きな傘をひっくり返したようなドレスは満員電車の顰蹙を買ってしまう。また、ドタバタと乗降する乗客の靴にスカートの裾もひどく汚されてしまうだろう。そう思ってみると、主張もせず体を覆い隠すロングコートが私の推理を補強してくれるように感じる。


 列車が滑り込んできて、乗車待ちの数人がもぞもぞと動き出した。私は何がなんでもコートの中身を見てやろうという卑しい思いで、彼女のすぐ後ろに続いて乗車できるよう数歩の距離を詰めた。土曜日の夕方、電車は大変な混雑である。

 ドアが開き、素早く後を追って横に立とうとしたのだが、後ろから寄せる人の波に押しやられてしまい、企みとは裏腹にお目当ての彼女と背中合わせに並べられてしまった。後ろを振り返っても帽子がチラっと見えるだけ。これは面白くない。私は目指す答えをすぐ後ろに持ったまま、じれったい気持ちでいくつかの駅をただ見送った。


 やがて電車が原宿駅を発車した時、一つの可能性が見えた。次の渋谷は私の降車駅であり、今日は夕方から夜にかけて警察による厳戒態勢が敷かれるほどのお祭り騒ぎになると聞いた。どんなイベントがあるのか、または何も無いのかも知らないが、「コスプレフェス」の参加証を入手するような人なら、きっとこのお祭り会場を見過ごしたりはしないだろう。

 そうこう考えていると、渋谷駅で列車のドアが開いた。私がホームへ降りる人の波に乗ろうと体を180度ねじった時、そこに彼女はいなかった。ここまでに停まったどこかの駅で既に電車を降りてしまったのかもしれない。

 目論見は外れてしまったが、もう姿が見つからないと諦めてしまうと、さっきまで考えていたことは頭からすっぽりと抜けていってしまった。移動中に一人で勝手に広げた妄想は、着地点など要せず、空中で勝手に霧散していってしまうのが常である。


 雑多な思考にぼうっと身を任せながら改札階への階段に足を掛けた時、白地に赤いまだら模様の何かを視界の端に捉えた。中央改札へと続く上り階段の途中で、痛々しい傷跡メイクと血痕を施したナース服の集団がその一角を陣取っているのを見つけてしまった。

 ずんぐりむっくりした女たちが奇抜さだけで通行人の目を中途半端に引いている様子は、見ていて楽しいものではない。さっと通り過ぎてしまおうと視線を足元に落とした時、

「なんかはち切れそうなんだけど!」

 と笑う女の嬌声が耳に飛び込んできた。何もはち切れちゃいないことなどわかっていたつもりだったのだが、私はそのナースの姿を一目見ずにはいられなかった。

 安っぽい白衣で包まれた巨大な尻に、月経のような赤い染み。見上げると、頬に大きな痣をこさえた一人の女と視線がぶつかった。虐待されたカエルの顔が、階上からこちらを見下ろしている。私は盗み見の気まずさから首を下げて視線を断ち切った。


 そそくさと彼女らの横を通り過ぎると、動物と悪魔とアニメキャラの行列に挟まってコンコースを進んだ。改札を越えて街に繰り出すと、蠢く人の山は一層の賑わいを見せて行った。

 私もそこに立つ枯れ木として、一本の賑わいになっているのだろうか。猛る炎のような警察官の声に誘導されるままに、誰とも目を合わせないように、ハロウィンの渋谷を一人忍び歩いて行った。

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