うつせみ

 丸の内を皇居の方へ歩いていたとき、ふいに心が暗くなる感覚があった。私は歩く速度を緩め、こののちに来たるであろう身体症状へと備えた。真っ赤な逆光を浴びた高層ビルに囲まれた小さな通りを歩いていた。みるみる感情が濁り暴れ出そうとするのを感じたが、思考の方は案外冷静で、外を歩いている時は珍しいな、今日はこのあと特に用事が無いから問題ないか、などということを咄嗟に考えていた。

 まもなく身体の方に異常が始まった。頭と肩がずしりと重い。姿勢が曲がっていく。人の足音や車の音が頭蓋に響く。呼吸が浅い。息苦しい。それらがどっと私を襲った。表情は一切の自然な感情から切り離されつつあり、顔の筋肉がこわばり始めていた。

 地下鉄の駅へと続く階段はすぐ先の角を曲がったところにあるのだが、こういうときに無理を押して電車に乗るのは良くないと経験から学んでいた。私は少しの休憩を取るべく立ち止まり、路傍に座り込んだ。言葉にならない嫌な気持ちがどっと頭に膨らんでいく。それと併行して身体がずしりと重くなる。気持ちそのものが重量を伴ってこの世に現れつつあるようだ。こんなふうに理由もなく気分が落ち込んで身体が動かなくなるのは、今に始まったことではない。しかし、ここ数日あまりにも多い。自分で感じている以上に新しい仕事が合っていないのだろうか。まだ数カ月目なのだが、正直、勤め始めたその日から「違うなあ」とは思っていた。というか、その前もその前の職場でも同じことを感じていたように思う。私は今日も不自由な自分自身に失望し、いつの間にか座り込んだその場から動けなくなってしまった。

 うつむいたままの姿勢で眼球だけを動かし周囲を眺めた。足早にどこかへ行く人たちを見ていると何故かとても怖くなり、膝をぎゅっと抱えてかたまった。いまは少しでも小さくなりたかった。小さく、固く。気持ちが落ち着くまではそうなるしかないのだ。まるで、蛹だ。私はいま不安定で傷つきやすい内面を守るために、必死に自分の膝を抱きしめて植え込みの端にうずくまっている。そんな自分に、とても安心感を覚えた。……このままじっと耐えていれば少しは落ち着くだろう。理由の知れぬ焦燥感はまだ活発に頭をかき回していたが、俺は努めて何か別のことを考えた。いつか、この病が完全に落ち着いてくれる日が来れば、俺ももう一つ成長できるだろうか。定形を持たない俺の内面が凝固して、この背中を一筋に裂き、ばりばりと、新しい、明るい、もっと、日々まっすぐに生きる自分が……。こういう意味の無い考えを弄ぶことは息苦しさから逃れるには結構な効果を発揮してくれた。深く息を吸ってみた。呼吸が整えられそうだ。背筋を元通りに伸ばそうと体を動かした時、「 ぴしっ 」と、何かが割れる音が後頭部に響いた。

 ……貧血か。一瞬気を失ったようだったが、俺はすぐに気を取り戻した。そして縦に割れた背中から慎重に身を起こした。ゆっくりと息を吸い、背中にあるもので軽く風を起こしてみる。体はうまく動きそうだ。足元には真っ二つに裂けた俺が、俺だったものがうずくまっているように見えた。どれだけのあいだ固まっていたのだろうか。既に陽は落ち、辺りはぼんやりと暗かった。俺は羽を振るい、地を蹴り、空へ飛び立った。丸の内の夜空。四方八方からビルの四角い明かりが俺の目を刺した。最初にしてはなかなかのものかもしれない。すぐに地上を歩く人間が米粒のように見えた。次に俺は、こちらを見上げたまま動かないその一群に向かって一直線に降下した。

 地上にいたスーツ姿の男たちから一人、年配で小柄な奴を掴んで上昇する。暴れる力が弱弱しかった。俺は上昇しながら男の背中越しに肩へと齧りつき、何度も深く歯を立ててシャツや背広ごとこぶし大の肉を引き千切った。男の悲鳴が聞こえた。肉は丹念に咀嚼しながら、布きれはすぐに吐き出した。美味いとは感じなかったが食えると思えたのでそのまま良く噛んで飲み込んだ。

 適当なビルのてっぺんに止まり、地面へ叩きつけるように男を放り投げた。俺は次の獲物を探しにまた急降下する。男の次は女がいい。なんと呼ぶのかわからないが白っぽいスカートの服を着た若い女を両腕で捕え、俺は再び空へ上った。女は悲鳴も抵抗する力もさっきの男より強かった。今からこの女を犯そう。ここで。空中で。

 俺は身じろぎをする女を押さえつけるとき、腹部から新たに一対の腕が生えていることに気が付いた。これも羽と共に獲得したものなのだろうが、あまりに自然に動かしていたので今まで気が付かなかったのだ。俺は腹の腕で女の身体を固定し、元からあった方の腕で衣服を裂きにかかった。落とさないように慎重にやったのでいくらか手間取ってしまったが、空高くに囚われている恐怖が今頃身に染みてきたのか、女は徐々に抵抗の色を見せなくなっていた。

 ボロボロになって女の体を離れた服をはるか下、皇居のお堀に向かって投げ捨てたあと、俺は女の裸体をぐるりと上下に回転させた。頭を下げさせると眼前に尻が浮かぶ。温かくすえた臭いがした。嗅覚も敏感になっているのだろうか。女はここでまた抵抗を強くし、俺の顔面を蹴りつけようと何度も脚を曲げ伸ばしした。俺は構わず夢中でそこに顔を突っ込んだ。女はしっとりと濡れていた。

 俺は畳んでいた口吻をにゅうっと伸ばして股の奥を探り始めた。悲鳴ともつかぬ女の叫び声が聞こえる。俺は夢中でなかを探り、汁を啜った。啜っても啜ってもそのそばから汁は湧き出てきた。幾分か口の中を満足させた俺は腕を下へ降ろし女の尻を交接器の方へと持ってきた。女は口吻を突っ込まれた当初はひどく抵抗していたが、すでにその気力も失われたようにぐったりとしていた。

 俺は改めて今の自分の交接器を見てそのおぞましさに目を丸くした。茶色くてらてらと光りいくつもの微細な棘が返しになるように生えているそれは、とてもではないが人間の女に入るような設計ではない。しかし、俺がそれをおぞましく思う気持ちは、実際もう灯火ほどしか残っていない。それはもう自分の行動を制御できるようなものではなくなっていた。俺は元からあった方の腕で交接器を掴み、女の濡れた部分に何回かこすり付けた後、一気にそれを挿入した。女のぎゃっと言う叫びが聞こえたが、構わず腰を振った。快感はなかった。しかし、肉欲を満たしておとずれる快感とは別の何かが俺の中で燃え上がった。俺はこの行為を女の命あるうちに完遂すべく、ピストン運動を繰り返した。女は何かを叫びながら血まみれの陰部へと必死になって手を伸ばしていたが、俺の腹の腕に強く掴まれて体を折り曲げることすら容易にかなわない様子だった。

 やがて俺は果てた。しっかりと交接を保ち、何度も下腹部を襲った波の全てを注ぎ込んだ。命そのものが流れ出すような感覚だった。交接器を引き抜くと女の股は夥しい量の血と取れかかった肉片で、ピンク色に光る大きな穴になっていた。声も出さなくなった女の顔を自分の顔に近づけたところ、呼吸音は確認できた。俺は女を近くのビルの屋上へと運んで寝かせた。後でなにか植物を切り取って運び、こいつを囲ってやらないとならない。寒さから母体を守るため、そして外敵からのカモフラージュのためである。また、女の目が覚める頃には食べ物も必要だろう。俺は下で何やら騒がしく動き回る人の群れを見た。嬉しいことに、ここでは食べ物に困ることはなさそうだ。

 ビルの明かりはずっと遠くまで続いていた。俺は次の飛翔のため羽を広げて屋上の縁に立った。地上とビルの窓から恐る恐るこちらを伺っている者へ聞かせるように、精一杯の力で羽音を鳴らした。

「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」

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