【自然分娩】初めての出産レポ(昭和大学江東豊洲病院)

  1. 2021年11月出産の経緯

  2. 妊婦健診〜分娩までの費用(セミオープンシステム利用)※有料記事

  3. 昭和大学江東豊洲病院の感想 ※有料記事

出産までの経緯


【臨月〜出産予定日当日までの期間】
日によって生理痛のような感覚の腹痛が2〜3時間程襲ってくる。
大抵は夜、ベッドに入ってからが多かったけど、日中のお散歩中に腹痛を感じることもあった。
37週に入って陣痛に怯えていたけど、胎動は臍の上の方で感じていたので、むしろまだかなあという気持ちになっていた。
◆以下、正期産に入ってやっていたこと
・毎日散歩 1〜3時間
・松岡修造C.C. Lemon元気応援SONGを流しながらスクワット100回
 ※ちょうど100回できる曲の長さだし、陣痛を乗り越えよう!と勇気が出る笑
・ラズベリーリーフティーを毎晩飲む
・会陰オイルパック
 ※会陰マッサージはなんとなく怖くてできなかった

【予定日+1日】


妊婦健診で、内診グリグリ!今までの内診とは明らかに違い、痛くて悶えた。助産師さんの誘導により、息を吐きながらだと痛みが少しは和らいだ。子宮口は1cmのまま。
また、このまま自然な陣痛がこない場合、誘発分娩になるため、1週間後に計画入院の説明があった。

【予定日+2日】


昨日の刺激のせいか、おしるし…なのか?生理の終わりかけのような血が出ていました。昼はお散歩でたくさん歩き、夕方から腹痛を感じていたが、いままでのような前駆陣痛かなと思いつつ、松岡修造とともにスクワット100回し、早めのお風呂を済ませた。
20時頃から、軽い生理痛のような腹痛が定期的な間隔。陣痛アプリは使わず、やり過ごす。
23時頃から、重めの生理痛のような腹痛に変わり、普段だったらイヴとか薬飲んじゃうレベル。
0時頃、7分間隔くらいに唸るような腹痛。
夫に病院へ連絡しようと促され(もっと痛くなるはずだし、コロナの影響で立ち会い分娩できないし、できるだけ家で過ごしたかった私は渋った)、病院へ連絡。

【予定日+3日(出産当日)】


深夜1時、病院到着。周産期センターの入り口で夫とはお別れ。
内診し、子宮口3cm。入院決定!「今日がお誕生日になるね」と言われ、いよいよかと気合いが入る。
そのままLDR室へ直行。
陣痛バッグを開封し、陣痛に備えられるよう、すぐに準備する。
・飲み物にストローを通す
・テニスボールをベッドの近くに置く
・タオルをベッドの枕元に置く
・助産師さんにアロマ焚いてもらえるように、テーブルに出しておく
陣痛の合間にトイレを済ませる。そんなことをしているともう、立てないような痛みに変わっていたので、病院に来ていて良かったと思った。

2:00 両腕に点滴の準備
 声が漏れる程の痛さで、スマホのメモに「死ぬほど痛い」と記録してあった笑

9:00

内診で子宮口5cm
 助産師さんからは「昼には生まれるね」と言われ、あと数時間ならなんとか耐えられるかも?!と希望。しかし、痛みはさらに増していた。私はベッドの手すりを握りしめ、力を抜くことが全くできなかった。
 ちなみに助産師さん、看護師さんが時々様子を見にきて、要所要所で助産師さん、看護師さんの判断で医師を呼び、内診がある。(どなたが助産師さんか看護師さんかよくわからなかったし、20代に見える若い方ばかりだった。後から看護師さんだったのね、と知る)

12:00

子宮口6cm
 まだ6cm?と思った。おそらく力が入ってしまっていたからだと思う。陣痛の間隔は3分間隔くらい。医師から陣痛促進剤の打診があったが、私は促進剤=痛みが増すと思っていて、拒否してしまった。

午後の時間帯はとにかく意味のわからないくらいの痛みに耐え、時々現れる看護師さんにテニスボールでお尻の上あたりを抑えてもらってた。ある時、急に助産師さんが現れ、テニスボールを押してもらった時は痛みがスッと和らいだので、やはり助産師さんの方がツボがわかってらっしゃるんだなと感じた。
 陣痛の間隔は縮まらず、それどころか少し間が開いてしまうこともあり、私はその陣痛の合間にフッと意識が飛ぶような感覚があった。しかし、陣痛がくると我を忘れて叫び、全身に力が入ってしまった。何度か促進剤使用の打診があった。

14:30

医師の内診により、人口破膜。パシャッと音がしたし、破れた感覚もあり。看護師さんからお産をすすめるために、おっぱいマッサージや足ツボマッサージの提案、足をあたためるためのレッグウォーマーなど持参されてないですか?と聞かれたりして、あらゆる手段を使ってお産をすすめようとしてくださっていた。(そのほか、持参したアロマやCD(産院にあったオルゴール系)もかけてくださっていたが、気休め程度だし、あまり効果は感じなかったけど、お願いすればやってくださいます)

17:00

今まで見ててくれた看護師さんが勤務交代でバトンタッチ。「私の同期だから安心してくださいねー!」と言っていたが、全くタイプの違う看護師さんだった。(日勤の方はほんわか系、夜勤の方はサバサバ系)
 医師の陣痛促進剤の打診にようやくOKする(°▽°)←医師の判断に反抗すると痛みに耐える時間が長引くだけなので、この記事を読んだ方は促進剤使用の打診があったら医師の判断に任せて受け入れましょう!🤣
点滴(オキシトシン)で少量ずつ入れてもらったが、痛みが増すわけではなく、陣痛の間隔が短くなる感じ。実感としては急激に短くなることもなかった。
急に気持ち悪くなり、吐き気が出てきた。看護師さんに「吐きそう」とアピールし、枕元に袋をセットしてもらった。その30分後には吐いた!(20時間くらい何も食べていないのに、何が出るんだ?と思って見ると。。。めちゃめちゃグロいものだった。血とかなんかの塊とか)あと、途中何度かお小水を管でとってもらった。

分娩が長引いてる?か何かよくわからないけど、「帝王切開になるかも」と言われショックを受ける。「ここまで陣痛頑張って、今更帝王切開?それなら陣痛の初めの方で帝王切開してほしかった!」とか思った。
分娩台の上で採血、血圧測定、レントゲン撮影などをした!!!こんなベッドの上でレントゲン撮れるのすごいわーと思ってた。PHSで医師が麻酔科と連絡とってたりしてて、「まじで帝王切開やるん?」と陣痛に耐えながらドキドキしてた。

18:30

 人がなんとなく増えてきた。看護師さんがお産用のシーツやペット用トイレのシーツみたいなのをお尻の下に敷いたり、分娩台がトランスフォームした!いよいよだとわくわくしたけど、あれ、帝王切開は?と思い、「産めるんですか?!」と聞いた。どうやら産めるらしい。
看護師さんに加え、助産師さん、医師、初めて見る男性医師が集まってきて、奥の方には新生児科の先生が保育器?の準備などをしているのが見え、本当に会えるんだと思った。

 男性医師はいきなりヨガの話をしだしたのでびっくりしたけど、私はヨガ大好きなので、いろいろ話してしまった。おそらく気を紛らわせてくれているのだろう。サバサバ系看護師さんがいきむ時のやり方を教えてくれた。「目をしっかり開いておへそを見ます!声は絶対に出さないで、息は止めずに吐ききってください!陣痛がきたら、まずは大きく息を吸って吐いて、それからいきみます!」

 医師曰く、赤ちゃんの頭の向き?回旋異常?のような感じでなかなか赤ちゃんがおりてきづらい状況のようで、お手伝いしますね、とのこと。実際いきみながら、めちゃめちゃ手突っ込まれてた。

 ヨガの話をしつつ、
私「陣痛来ます…!くる…くる…きてる!!!」
男性医師『まだじゃない?もうちょっと待ってね』『よぉし、息吸って〜』『吐いて〜』
私「👀←サンシャイン池崎」
産めるとわかってからはいきむのが楽しかった。いきんでると陣痛は全然痛くない。何度かいきんでると頭が挟まってるような感覚もわかった。

いきんでる途中で会陰切開があり、パチンと音がしたけど全く痛くなかった。

19:40

 何度かいきんだら生まれた〜!!!
いきんでる時は楽しくて、あっという間に感じたし、陣痛もいきんでると痛みを感じない。

助産師さんが赤ちゃんの処置?をしてくれている時に、看護師さんにお願いして、スマホで写真を撮ってもらい、その写真を夫にメールを無言で送りつけた。文章なにもなし笑。文字を打つほどの余裕はなかった。

ちなみに、立ち会い分娩や面会不可だったため、夫が会えたのは産後の処置が長引いた関係で、深夜0時30分頃になってしまいました。

ここまでが出産レポです!
長々と読んでくださり、ありがとうございます。
入院の話、セミオープンシステム利用での妊婦健診から出産費用まで、昭和大学江東豊洲病院の健診から出産、その後の1か月健診などを踏まえた感想の記事は別途有料記事で公開予定です。

あくまで一個人の主観にはなりますが、病院選びの参考になればと思います。


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