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音楽によって書き換えられる記憶 私と苫小牧とNOT WONK

隣町の大きな病院、薄暗い地下の隔離病棟の一室。消毒を済ませた両親と共にドクターが私に病名を告げに来た。「99.9%の確率で無いと思われていましたが検査の結果、肺結核です。」
その時の母の申し訳なさそうな、悔しそうな顔が忘れられない。

かつて肺結核は不治の病と言われる伝染病だった。薬が開発されてからは免疫力の低下した高齢者が発症する例が多く、今から20年以上前の当時、私のように十代で発症するケースは極めて稀だった。
設備の整っていない地元の病院での治療、苫小牧にある専門病院での治療という二択を迫られた。

当時の私は極度の人見知り。家族と仲の良い友達以外に心を開くことがなかなか出来ずにいた。そんな私が家から車で3時間以上離れた苫小牧の病院で一人闘病生活を送るなんて考えただけで吐きそうだった。
ただ、今回のケースは手遅れになると命さえ落としかねない。自分の命を最優先するための確実な選択をするしかなかった。
翌日、救急車で苫小牧の病院に搬送された。そんなに具合は悪くなかった。

院内は明るく開放的な雰囲気で安心したのも束の間、入院して間もなく同じ病気で入院していた隣室の女性が亡くなった。「母サァァーン!!」家族の泣き叫ぶ声が廊下に響き渡る。「先生治るって言ったよね…」私は両手で耳を塞ぎ、泣き声が止むまでひたすら堪えた。

入院生活ではいろいろなことがあった。
薬の副作用でトイレの水が真っ赤に染まるのを見た時はギョッとしたが、そのうち慣れた。優しく話しかけてくれる看護師さんに心を開くことができずに一人苦しんだ。お見舞いに来てくれた姉妹や友達とは感染を防ぐため面会ができず、窓から手を振り手紙を投げた。とにかく「生きる」とノートに書き殴った。検査の結果、入院が長引くとシャワーの音で声をごまかして泣いた。

どうして自分だけがこんな目に遭わなくてはいけないのか。こんな病気なりたくてなったわけじゃないのに…まるで鳥かごの中の鳥のように、外の世界を見つめながら私はひらすら自分と向き合った。

私はそれまでいてもいなくても変わらない、自分はどうでもいい存在だと思っていた。だけど、病気になったらみんなが優しかった。心配してくれた。「早く戻ってきて!」「元気になって!」「みんな待ってるよ!」

私は愛されていた。

きっと病気にならなくても愛されていたのに、気付けなかったんだ。だからこの病気を通じて気付く機会を与えられたんだと思う。

入院から4ヶ月後、私は退院した。

あの出来事以来しばらくの間、苫小牧と聞くと思い浮かぶのは大きな煙突と煙、そして赤く色づいた闘病の日々。
しかし時が経つにつれて病気のことも、辛かった思い出も薄れていった。ただ、苫小牧は私にとって特別な街であることに変わりはなかった。

去年の夏、知り合いから「苫小牧にすごいバンドがいる」という話を聞いた。
「あの街に?」正直最初は言うほどでもないだろうと高を括っていた。ただ、どうしても気になりこの目で見てみたくなった。

初めて観る彼らのライブ。
ステージに現れたNOT WONKの3人は、冷静な表情で淡々とサウンドチェックを繰り返す。足元に置かれる”BORED”と書かれた板。「何が退屈なんだろう?」と思った次の瞬間

「NOT WONK」

ステージから放たれる音と光は、瞬く間に大きな怪物となって会場を呑み込んでいった。呑み込まれた会場は一つの生命体であるかのようにうねり、交わり、細胞分裂を繰り返した。こんなライブは今まで体感したことがない。彼らが生み出す音は、あらゆる感情を燃やし尽くしてくれた。ただ、燃やすだけじゃなく優しく包み込んでくれた。

人にはそれぞれに居場所があって、自分が自分らしくいていい。そう感じさせてくれた。
過去なんてどうでも良くて、今この瞬間が全てだと思わせてくれた。彼らの演奏には嘘がなくて、真剣に音楽と向き合い、真剣に自分と向き合い、真剣に人と向き合っている。
伝わるものがあった。

人はあるとき、聴くべき音楽と出会い、音楽によって救われることがある。たった数分、数十分で、何年もの間背負ってきたものから解放される時がある。

NOT WONKの音楽は、私をもう一度鳥かごから外の世界へ連れ出してくれた。私の苫小牧の記憶を書き換えてくれた。

今、誰も望んでいなかった事態が起きている。
相次ぐライブやコンサートの中止。こんなこと誰が予想していただろう?

この悲しみの記憶も音楽によって書き換えられることを信じている。

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