突然の疑問たちと願いと夜中1:30の偏見

「何かを得ると何かを失う」という言葉があるとおり
結局人間は自分を守る為に何かを犠牲にしなきゃいけない。ただ自分を守りたいだけなのに。

何もせず欲しいもの全てが手に入り豊かに暮らす人間を
神様はどうやって決めているのだろうか。面接、内申点、テストなどそんなものはなく、「運がよかった」とまとめられる事が多いが運ほど残酷なものは無い。(まだじゃんけんの方がマシ。)
どう頑張っても報われない人と何もしなくても苦のない人が共存する世界で、平和、幸せ、平等という言葉があるのはどうなのだろうか、?
たしかに努力で夢を掴みとれたり、報われない人には
報われない理由があるという意見もあるかもしれないが
その本人が理由を知ってるとは限らない。


もしかしたら昔、神様は恐れの裏返しだったのではないか、?
崇められていたのは恐れられていたがゆえの行動だった
のではないか、?
そう考えると生け贄の辻褄が合う気がする。
「何かを得ると何かを失う」という言葉はこの頃から存在したのだろう。

いつの時代も人間は結局人間に優しく生きられないのではないだろうか、?
本当に信頼できているのか、いじめ、陰口、作り笑顔、
営業スマイル、他人ばかりでなく自分自身までわからなくなる事がある。

だからせめて人間が独りぼっちにならないようにと家族が存在すると思う。かけがえの無い無償の愛を注ぎ合えて
どんな時でも味方でいてくれるのが家族いうのが
当たり前になる世界になって欲しい。


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