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白い軍服の人。

始まらなかった恋を終わらせなければと、気が付いたらチケットを取っていた。

夏の盛り、衝撃的なニュースを耳にした。
星組の愛月ひかるさんが2021年12月26日付で退団されるというのだ。

星組 退団者のお知らせ | ニュース | 宝塚歌劇公式ホームページ


現役生の舞台を観てこなかった私が、愛月ひかるさんを意識し始めたのは『ロミオとジュリエット』。
そう、いわゆる“愛ちゃんの死”※がきっかけだった。
※概念である「死」を擬人化し、台詞は一切なく全てをダンスと佇まいで表現する役。

現役のジェンヌさんについてはほぼ何も知らない、情報もそれほど追わない私が、カフェブレイクをチェックし、雑誌を読み、配信で公演を視聴するくらいにはその演技に興味を持ったのだ(チケットは取れなかった…)。

画面越しでも引きずり込まれそうなくらい妖艶で、美しく、そして背筋が冷たくなるような演技にいつしか息をするのも忘れて見入っていた。

『TOP HAT』での演技も心に残っていたことから、これから現役のジェンヌさんを応援するのなら愛月さんが良いなとぼんやり思っていた。

そう、いつかタカラジェンヌは退団してしまうと知っていながら、ぼんやりと。

ただ、ぼんやりとしていたのにも理由がある。
あまり宝塚のことを知らない私でも、トップになることの難しさは想像に難くないし、どんな人でも必ず退団する時が来ることを知っていた。

もし特別に好きだと思う人が現れて、その人が何を目指してこの先どうなるのか全くわからない、そして、いつかはわからないけれど、終わりは必ず訪れる。
更には退団後にまた表舞台に立ってくれるのか、それすらも分からない。

そんな状況に私は耐えられるのだろうか?
その思いが私の足を止めていた。

けれど冒頭のニュースを知った時、恋が始まる前に終わってしまったような何とも言えない寂しさを覚えるのと同時に、このまま退団の日を迎えてはいけないと強く感じた。

私は今、七海ひろきさんを応援しているが、ファンになったのは宝塚退団後1年以上が経ってからだった。
叶わないと知りつつも、一目だけでも現役の姿を生で見たかったと嘆いたことは一度や二度ではない。

またその後悔を繰り返すのか?遅すぎるとは言え、今回はまだ間に合うじゃないかと一念発起し、何とか自力で東宝のチケットを取ることが出来た。

そして迎えた観劇日。
とても楽しみにしていたはずなのに、これが最初で最後だと思うと劇場前で足が竦んだ。

冷静に舞台を観られるだろうかという不安をよそに、意外とお芝居は冷静に観れていた気がする。
一瞬でも見逃してなるものかと無意識に思ったのかもしれない。
舞台での存在感の大きさと役の演じ分けが素晴らしく、言っても仕方ないとわかっていながら、もっと色々な舞台を観たかったと思ってしまった。

ショーでは一転してハンカチが手放せなかった。
役があってストーリーについて行かなくてはいけないお芝居よりも(もちろんショーでも設定や役はあるのだけど)、その人自身に近い気がするからかもしれない。
「ずっとあの夢の世界にいたかった」と、陳腐な感想しか出て来なくなるほどに、何もかもが美しく、愛おしかった。
お芝居もショーも本当に一瞬に感じて、あれは夢だったのではないかと思いながら帰宅の途に着いた。

一晩経った今は、観劇が終わってしまったのだというぽっかりとした寂しさと、それでもまた来年劇場に行けば会えるのではないかと思ってしまうような現実味の無さを抱えている。
本当に寂しさを痛感するのは、愛月さんのいない星組を観た時なのかもしれない。

いつか終わりが来るのなら、その終わりに耐えられないのなら、好きにならない方が良いと思っていた。

けれど、そうではないのだと、例え出会いが遅すぎたとしても、いつか終わってしまうものだとしても、退団以降その姿を舞台で観られないのだとしても、光り輝く瞬間を目に焼き付け、心に刻むことが大切なのだと身をもって知った日だった。

始まらなかったと思っていた恋は、そのたった数時間できれいに咲き、まだ美しく心に残っている。

最後の最後で“男役 愛月ひかる”に恋が出来て幸せでした。
眩くきらめく白い軍服の人、心からの感謝をあなたに。

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