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『風来のシレン6』何故我々は”不思議のダンジョン”に惹かれるのか?

ご機嫌よう。
まずは14年ぶりの新作となる『不思議のダンジョン 風来のシレン6 とぐろ島探検録』発売を心より感謝を。
スパイク・チュンソフト……ありがとう……。

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シレン6を諸君は楽しんでおられるだろうか?
シレン1を再構成したようなシンプルな遊びやすさと、シレンシリーズで得た『不思議のダンジョン』を面白くする知見をふんだんに取り入れたシリーズの集大成とも言える作品である。

風来のシレンをプレイしている毎度の事ながら考えることがある。
「『不思議のダンジョン』は何故こうも魅力的なのか」
今回はこの点について要素を分解してゲームデザイン上の考察を述べつつ、上級者にはおさらいを、初心者には導きになるように『不思議のダンジョン』を語りシレン6を更に盛り上げていこうと思う。


1000回遊べるダンジョンRPGと謳われる訳

そもそも『不思議のダンジョン』とはなんぞや?
1000回は聞いているであろう説明をするのは忍びないが耐えて欲しい。
ローグライク(ローグライト)の説明を借りなければ以下のような説明になる。
冒険者がダンジョンに入るたびに構造が変わり、出てくる敵の種類と位置、アイテム、罠、イベント、全てが入れ替わる。難易度が全く異なった冒険を何度でも味わえるという代物。ダンジョンはプロシージャル生成であり一定のアルゴリズムを元に組み立てられる、そのため遊べないほど不自然なマップなどは存在せず、また逆に飽きるほど幸運過ぎる展開もほぼ無いと言って良い。
つまりは「プレイヤーが楽しく遊べる範囲でランダムで、同じ構成(冒険)に出くわすことは不可能と言えるほどは複雑なダンジョンを提供する」のが『不思議のダンジョン』である。

しかし、これだけの説明では私も1000回遊べるなどとはもちろん言えない。
風来のシレンにはリプレイ性を高め、冒険のカタルシスを生む仕組みがいくつも用意されている。長く、そして細かくなるがどうかご容赦を。

成長要素とロストの学習カタルシス

巷では風来のシレンがローグライクであることが持て囃されているが、そもそもRPGであることに注目して欲しい。

風来のシレンにはレベルが有り、武器の強さ、盾の強さ、武器盾の印、満腹度等の様々なステータスが存在する。
武器の強さと盾の強さはアイテムを強化する成長要素も存在する。
ご存知の通り、それらを手塩にかけ育てた装備品でもシレンがダンジョンで倒れると全てロストする。(シレン6では救済システム有り)

ダンジョンで倒れればレベルは1になり、武器も盾もなくなり、金(ギタン)もアイテムも何もかも無くなる。例外は無い。
風来のシレンでは敗北に対し、ロストという究極のリスクが付いている。
何故このような構成がシリーズ化するほど親しまれているのか、考えてみたい。

シレンシリーズにおける巨大なるリスク・リターン

避けては通れぬ話題として上記の通り、ロストが存在する。
更に言ってしまえばダンジョンに居る間常にロストの危険と隣合わせで居続けることになる。過大なストレスをプレイヤーに強いている。
昨今のゲームで似ているものを挙げるのであれば『DARK SOULS』『ELDEN RING』等のソウルライクが感覚として近しい。死ねば自己強化のために使われる値をロストの危険性を冒険中味わうことになる

強敵ドラゴンに破れ、全てを失うシレン

このシステムの優秀な所はリスク・リターンの関係が明らかであり「生存という最重要のルール」のために何をするのが最善か常に考える必要がある事を能動的にプレイヤーに考えさせる事にある。
プレイヤーは負ければ全てを失うのであれば、全力で最善手を考える。
これは非常に強力なルールであり、自然とプレイヤーはその状況やアイテムの使い方や敵の対処を学ばせられる。

一例を挙げるのであれば
「うわっ、近づいたら見たこと無い能力を使われたぞ!」→「どうやらこいつの特殊能力は近づくと使ってくるようだ」→「離れた位置から矢で攻撃しよう」

こうして生存のための能動的学習により対処法が編み出される事になる。
この学習はシレンではなくプレイヤーに集積する。
つまり、「プレイヤーが冒険で得た対処法という知識」は1レベルに戻ろうがアイテムを全て失おうが継続して使用可能な武器となるのだ。

こうした知識の積み重ねのおかげでダンジョンを登りきったとき手元にはゲーム上では共に戦ったアイテムが残る。
しかし、プレイヤーはこのアイテム群よりも多くのものを得ている。
敵を倒す、アイテムを使いこなす、危険を事前に回避する周到さ、不運を最小限に抑える行動……等など
それらを全て知識として獲得しているのである。

本当の意味で言えばシレンシリーズのロストとリターンは釣り合っていない。
ダンジョンを踏破出来るほどの知識があれば、何度でもそのダンジョンに出てくるアイテムは取り放題ということになる。初心者はすぐには無理でも少しずつ可能な範囲が広がってくるだろう。

安心して欲しい、一度得た巨大な知識(リターン)を覆すほどロストが高くないのである。

RPGの序盤を無限に味わえる快感

RPGで最も面白い所はどこだろうか?と問われれば私は「ゲーム序盤から中盤にかけて世界が拓けていく所」と答える。
「弱い武器が少し強い武器になり、手近なモンスターは倒せるようになったし、これからやることが増えるぞ!」となった瞬間が最も楽しいと感じる。自由度が広がっていく感覚が楽しいとも言えるだろう。
風来のシレンではこの序盤~中盤にかけて強くなっていく過程を無限に味わうことが出来る。
……と、言えれば聞こえはいいのだが。

私は「1レベに戻るのがつらい」という初心者側の言い分も分かるため、そちらについて掘り下げよう。

シレン初プレイの人から見れば、1レベルのシレンがダンジョンクリア時に30レベルになっても、再び村に戻ってきたシレンは1レベルに戻っているのは事象的に意味不明かつレベリングが徒労だったように感じるかもしれない。
ダンジョンに潜り、困難に立ち向かい鍛えられたシレンがレベル1に戻るのは確かに事象的に意味不明なのは認めよう。(マジでなんでだろうね?)そういうものだと割り切って欲しい。納得できる説明は私には出来ない。
しかしレベリングが徒労だったように感じる部分について少し見解を述べたい。

新米風来人は驚かれるかもしれないが、風来のシレンはRPG要素を持ちながら単純にシレンのレベルを上げればクリアできるゲームではない(シレン6では前作以上にレベル上げは重要であるが……)。
ダンジョンを登りor下り、最下層のフロアを抜け、ボスを倒せばクリアになる。
レベルが必須になることはあまりない。アイテムでレベルの差分をひっくり返す戦術が無数にあるからだ。(アイテムが無かったら高レベルでも詰む)
レベル上げは十分事項であって必須事項ではないのである。

そうは言ってもレベル上げ自体は楽しいし、最大HPが上昇すれば冒険が有利になるのは疑いようがない。
シレンシリーズではレベル上げを楽しむ事も出来るようにいくつもルートが用意されている。ここに例を挙げよう。

まずは普通に敵を倒す。ダンジョンに潜りたてで素手で倒すと手強く感じる敵も、強化した武器で一撃で倒せると快感である。

次にレベルアップしたモンスターを倒す。
モンスターが他のキャラクターを倒すとレベルアップすることがある。レベルアップしたモンスターは手強いが、アイテムを駆使するとシレンが低レベルでも倒せる事がある。レベルアップさせる敵によっては経験値が跳ね上がるため、RPGで言うところの「背伸び狩り」が楽しめる。一気にレベルが上がるのは快感である。

アイテムで経験値を稼ぐ。レベルを上げる方法はアイテムでもいくつか存在する。「しあわせ草」に代表されるアイテム群だ。
「しあわせ草」飲むとシレンのレベルが1上がる。次のレベルが近いときに飲むと少量の経験値を得た形になり損だし、レベルが上がった直後に飲むと大きな経験値を得たことなり得だ。使い所が分かるとずる賢く経験値を集めることが出来る。あえて敵に投げつけてレベルアップさせて「背伸び狩り」するのも有効だろう。

装備を弱体化させる能力を持つチドロ。素手で戦うなら無害な経験値稼ぎとなる。

こうしたレベリングが何度でも出来るのは楽しい。
一般的なRPGで「適正レベルじゃない領域のモンスターを狩り、レベルを上げた時の興奮」を呼び覚ましてくれる。
”何度でも”だ。
それはレベルが保持されていたら味わえない感覚である。
新米風来人がレベリングを徒労と感じてしまうのは、強い状態を維持したい・保持しておきたいというRPGで培った正常な感覚ではある……しかしながら、先程も述べたがクリアのために必須で成長すべきはシレンではないのである、プレイヤーの知識・腕前こそが最も重要なレベルなのだ。

RPGで育成を無限に味わえるゲームなどそう多くはない。
風来のシレンの「毎回RPGの序盤~中盤を繰り返す」ゲーム性を楽しんで欲しい。
新米風来人がレベルが1に戻ることについて、どうか肯定出来るよう祈っている。

可能性の取捨選択と射幸心をくすぐるアイテム達

ダンジョンにはランダムにアイテムが落ちている。
攻略に必要なものから全くのゴミアイテムまで様々だ。ゴミアイテムなど拾う必要はないと言われればその通りだが、シレンでは『未識別アイテム』として拾わされることになる。
初めて拾ったアイテムは正しい効果と名前が分からないのである。

有用なアイテムであれば強敵と戦うときに取っておきたいが、シレンの不利なアイテムを使えばより凄惨な窮地になる。
安全に使える状況で使う等で鑑定すれば、同じアイテムが再度出た時は識別状態で手に入る。無論ランダムで手に入るアイテムなので二度手に入る保証は無いが……。
さて風来人よ。アイテムをどのように識別する?

イルカの巻物は仮の姿、その実態は道具寄せの巻物

風来人は常にアイテムの取捨選択を強いられる。
時には生き残るためにレアアイテムを捨て、有用なコモンアイテムを持たなくてはならないこともあるかもしれない。
有用なアイテムが2つあればどちらを残すか決断しないといけないこともあるかもしれない。
盾はどうするか?防御力を取るか、防御力は劣るものの厄介な特殊攻撃を防ぐものにしようか。
未鑑定のアイテムの値段から察して恐らくこのアイテムの候補は……
………etc

これらがすべてのアイテムで行われる。
アイテム所持数限界の24枠に何を埋めていくか、アイテムを温存するか、使用するか、鑑定を行うかどうか。
どのような冒険をしても、新鮮な状況に出くわすことになるだろう。
この複雑な状況を整理する面白みが風来のシレンにはある。

風来人はアイテムの可能性を模索する

風来人はアイテムの可能性を極限まで引き出そうと考える、という話をしよう。

シレンは『満腹度』という100%を初期最大値とするパラメーターを持つ、ダンジョンを攻略中は常に減り続ける。要するにダンジョンを無限には探索できないということだ。(クロンの風もあるしね)
この『満腹度』の回復に『大きいおにぎり』というアイテムがある。
満腹度を100%回復するアイテムであるが、このアイテムはいつ食べるのが良いだろうか?



もちろん、0%の時に食べるのが最も分かりやすい使い方だ。100%まで回復する。
しかしながら、既に100%(お腹いっぱい)の時に食べれば最大満腹度が4%上昇する。
空腹度最大値4%上昇と100%回復を天秤にかけると、風来人達は様々な行動を取ることになる。

風来人Aは「次の空腹まで持っておこう」とし、手持ちに大量のおにぎりの蓄えが出来上がる。
風来人Bは「余裕があればできる限り満腹度の最大値を上げよう」とし、荷物の空きに攻略用のアイテムを詰める。
(更に、シリーズの伝統としてにぎりみならい系におにぎりを投げると喉に詰まらせ倒すことが出来る。これで経験値を稼ぐことも選択肢に含まれるが今回は食べるコマンドに焦点を当てる)

状況が次第ではどちらも間違った選択肢では無いが、何故この違いが生まれるのだろうか?
理由は2つ。
・シレン6特有のシステム『ドスコイ状態』があるため
・空腹を満たす方法は様々あるため

『ドスコイ状態』とはシレンを飛躍的に強化出来る状態である。満腹度の最大値が150以上になった時にドスコイ状態になるので出来ることなら目指すというわけだ。

ドスコイ状態のシレン。罠は踏み潰し、壁も素手で破壊出来る豪胆さがある。ツヨイ

そして空腹を超えた飢餓状態は深刻なステータスだが、様々な方法で食べ物を生み出しかいくぐる事が出来る。モンスターや罠をも利用し、空腹を満たすことも上級風来人には造作も無いことである。
それよりも凶悪なモンスターや不利な状況を打破するためのアイテムを多く抱え込もうとする。ダンジョンの深層に入ればおにぎりを手持ちに入れているより生存率が上がるのである。

ちなみに「そうか!じゃあ、おにぎりで満腹度の最大値を上げて持ち物を増やそう!」等と考える必要は無い。
知識量の問題だからだ、上級風来人は空腹を切り抜ける知識があるため少量の食料でも生存できるが、初心風来人は慣れるまではおにぎりのストックをいくつか持っておくほうが良いだろう。そのほうが生存率が高まる。
そして状況に応じて上級者もおにぎりのストックをする時がある、状況は変化するし、全てのケースを載せるのは不可能なため「そういう傾向がある」程度に留めて欲しい。

どうだろう。おにぎり一つとっても奥深いゲームであることが伝わっただろうか?
これを全てのアイテムと状況で吟味する事になるともはや情報の洪水である。

風来人はいつもアイテムの可能性を最大限引き出そうと考えるのだ。

トレジャーハンティングの喜び

風来のシレンのご先祖様的なゲーム「ローグ」は「ならず者」という意味であり、ならず者がダンジョンに入って危険を犯して金銀財宝を掻っ攫うゲームだ。風来のシレンにおいても主題は変わっていない。
ダンジョンを踏破し何を持ち帰るか?という点において「ローグ」の時代よりダンジョンは大きく進化を重ね、より楽しくなっている。

『風来のシレン6』の金銀財宝が眠る冒険の舞台はとぐろ島となっている。
過去には海賊がやってきてお宝を隠したとされる冒険の地……
龍を模した山肌がうねるように谷を作り出し、シレンは山を登ったり谷へ下ったりしながら龍の頭頂部、即ち起伏に飛んだ山道の最上階である30Fまでを本道か隠しルートのどちらかを選択しながら登っていく事になる。最終的にはどの道を通ろうが30Fにたどり着くが、その過程はある程度プレイヤーが制御可能なのである。

起伏に飛んだとぐろ島。色々なルートを試そう。

危険の少ないルートを選ぶか、はたまた経験値の稼ぎを重点に置くルートを選ぶか、ダンジョンのお店が出現しやすいルートにするか、とぐろ島に隠された財宝を探すルートを選ぶか……
プレイヤーの技量と目的に合わせてルートを選択できるのはなんとも懐の深いメインダンジョンである。(このあたりはシレン2の難易度システムと少し似ているかもしれない)

レアアイテムを手に入れようと思っていれば自ずと高難易度のルートを通ることになり、通常とは異なる武器防具、通称「神器」を手に入れることも可能だ。強力な武器だが、性能(印)がランダムについているので、同じ武器を何度取っても違った喜びが生まれるだろう。

神器に関してはハックアンドスラッシュの楽しさに似てるかもしれない。
レアアイテムが手に入る時の興奮とそれをロストするかもしれない恐怖をいつまでも体感できる。

神器は画面に映ると特殊音とともに光の柱が出る
更に上位の神器は金色の光の柱

レアアイテムがあればクリアできるとまではいかないものの冒険を大きく楽にしてくれる。
風来人ならば、レアアイテムや強い武器防具を揃えてみたいところだ。

風来人は盗賊にも怪盗にもなりうる

ダンジョン内に時折出現する『お店』は様々なアイテムを売買してくれる風来人のオアシスである。

だが『不思議のダンジョン』で一番面白い事はなんですか?という質問に答えるならば「泥棒」と回答する風来人は多いだろう。
このような不届き者が風来人に続出してしまうのには理由がある、異様なまでの中毒性があるのだ。

商品を盗むと店主と追加で出現する盗賊番と番犬の3種の特殊NPCの猛攻を味わうことになる。ストーリーダンジョンをなんとかクリアできる程度のレベルと装備のシレンであれば1~2擊で倒されるだろう。
商品を持ち逃げする際は正面突破するケースはほぼ無い。

では、どうするか?
アイテムやモンスターの技能の創意工夫で鮮やかに盗み出すのだ。

セキュリティ(外壁付き)が万全なお店でも
大部屋の巻物+移動系のアイテム等でフロア全体を破壊して盗み出す

店には自分の持っているアイテムも売りつける事も出来る。
自分の持っているアイテムを売り、その後、売ったアイテム+店の商品ごと全て盗み出せば丸儲けというわけだ。
当然ながら盗みに至る用意を欠かしてはならない。

多くの有用なアイテムをごっそり抱え込み、泥棒が初めて成功した時の体験は筆舌に尽くし難い快感があるだろう。
緊張感と高揚を忘れられず、再び泥棒に手を染める風来人が後を絶たないわけだ。

「ハイリスク・ハイリターンを追い求める盗賊風来人」が色々な方法を試すうちに”盗みの知識”がつき成功率が高まっていく。
しばらく盗みと失敗を続けると「ローリスク・ハイリターンを鮮やかにこなす怪盗風来人」が誕生する。

こうしてようやく風来人の鞘に強力な攻略手段が収まるのである。
ダンジョン内で使えるものはなんでも使うのである。

ちなみに日々盗みの研究は行われ、世の中には信じられない方法で盗みを行う風来人達もおり、上級風来人の中では一種の魅せプレイとしても進化を続けるのがシリーズ恒例の展開となっている。

結論:『不思議のダンジョン』の中毒性を生むものとは?

今まで述べたような各々の楽しい要素はあれど、運が悪ければ罠を踏み続け、敵に囲まれ、アイテムはゴミばかり、店も出現しない……なんてこともままある。基本的には難しいし、上手くいくことばかりじゃない。
それでも『不思議のダンジョン』は複雑なランダム性を提供するが「レアアイテムが出るまで死に続けてクリアするゲーム」では決して無い。
プレイヤーの知識がそのまま結果に出る事の方が多い。

ただ、シリーズ経験者でもなければ本作シレン6も難しく感じてしまうだろう。それはローグライクと呼ばれるのゲーム全般が難易度が初見では攻略できないような難易度に設定されており、プレイヤーは敵の能力やアイテムの可能性を学習していく事で打開出来る難易度になっているのである。

私も当然ながらシリーズ経験者だが、とぐろ島の打開に何回か倒れる事になった。経験者だからと言ってダンジョンは容赦はしてくれない。
倒れては何度も何度もダンジョン挑むと、運のゆらぎが生じる。悪い事ばかり起きる冒険もあれば、良いことに恵まれた冒険もあるということだ。
良いアイテム、経験値稼ぎが上手く行った、泥棒が成功した……等だ。
しかし、それでもダンジョンは容赦してくれない。
どんなに上手く行った冒険も1回の判断ミスが命取りになる事もある。

こうしたランダム性は全ての風来人に一喜一憂を与えるが、ダンジョンを突破できるかどうかは「どれだけ現在の状況を理解し、危険性を取り除き、1ターン先の生存の可能性を広げることが出来るのか?」という点を知識として持ち、一手先を考え続け、実行できるかにかかっている。

逆に言えば、どれほど運が悪い旅路になろうとも選択肢次第ではダンジョンを打開できるかもしれないゲームバランスということだ。
どんなに悪路を通ったとしても「あれ、こうするべきだったかな」と反省が残るだろう。
それが『不思議のダンジョン』の中毒性の正体だ。

まとめよう。

『不思議のダンジョン』は武具、アイテムの取捨選択と店などのランダムなイベントや自由度の高いレベリングが冒険に起伏をもたらし、ダンジョンを進む際には、良悪のランダムはあるものの、最終的にはプレイヤーは”ランダムを乗りこなす実力を問われる”。
その結果(踏破orロスト)と冒険の内容をプレイヤーは反省し能動的にゲームの上達を実感出来るのである。
反省したプレイヤーは『不思議のダンジョン』で全く違う展開の冒険を味わう。再びプレイヤーは良悪のランダムの狭間で反省と成長を繰り返す。
無限ループが誕生し、こうして『不思議のダンジョン』は1000回遊べる中毒性を持つに至ったのだ。

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シレン6楽しくて語りイタチ

読んでくれてありがとう、真髄行ってきます。


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