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心が無限LOOP

最近あるものにドップリはまっている。あるものっていうか、ある人。ある音楽。

高校生の時に一度聴いたきりで、昨年何十年かぶりに聴く機会があり、聴いてみたら曲も声も自分の好みにドンピシャで急激に惚れました。
後追いで音源や雑誌などを漁っている私を、家族は若干引きつつも生温い目で見ている。

タイミング的に去年はまったという人も少なくないとネットでも見かけた事があるので、御多分に洩れず自分もってことなのですが。

この一件がきっかけでアクションを起こした事もいくつかある。それまで気になっていたけどやってなかったことに、思いきって飛び込んでみたりとか。我ながら行くぞ!と決めた時の行動力はすごいと思う。そのように私が動く様を、家族はやっぱり引きながらも感心して眺めている。

こういうシチュエーションは前にもあったけど、似てるけどだいぶ違う。今回は、はまればはまるほどダメージが深くなる。だってもうこの世にいない人だから。もうけっこう傷口深いが、聴けないなーと思ってもまたすぐ聴いている。仕方ない。

日々、好き好きと騒いでいるように見えるけど、心はずっとなんとなくモヤモヤしている。
ひとつは、にわかに気持ちが騒ぎ出したことで、ヒトの現金さというか、心の騒がしさ(ミーハー?)みたいなものがあることに自己嫌悪とか複雑な思いが好きになって以来、ずっとある。ファン歴の長い短いとかではないし、数々のアクションを起こせた事も、こういう強い気持ちが出てきたからこその行動力だったとは思うけど。

森岡さんの時もそうだったからなあ。あーすぐ飛びつくよね、多分2年くらいで飽きるよねみたいな感じで、自分で自分を冷ややかに見てしまう。

そして、もうひとつモヤつくのが、好きになったタイミング。
元気なのが一番だったけど、それだと自分、聴かなかった、気づかなかっただろ。なぜもっと心のアンテナを広く張っておかなかったのか。もう少し前に知る事ができたんじゃないだろうか。何より若い時に一度でも聴いていたのに。
でも今聴き始めたことで、あちこちに繋がって会えた人や得られたものも今たくさんある。それは大事、すごく貴重な経験になっている。
でもやっぱ元気ならば〜…
という、自分の中でのジレンマの無限LOOP。
でも、でも、と同じところをぐるぐるしている。これが今いちばんきつい。この先もずっとモヤったままぐるぐるしてしまうのかなあ。

と、友達につい愚痴ってしまったら、
聴こうという気持ちになった時が始まり、知らないままで終わらなくてよかったのでは
と返していただいた。モヤモヤしていた気持ちが少し救われた。

ジレンマ無限LOOPは完全にはなくならないかもしれないけど、感情は変化したり昇華できる時がくるかもしれない。
いなくなって見えなくなっても、何かしら然るべき時に必要なものを与えられているような気がする。俺様如きに与えてくれているかどうかは知らんけど、与えてくれてると勘違いしておく。
勘違いしたまんま、ずっと好きで聴いていられたらヨシとする。もちろんこれからのバンドの行く末も期待しながら応援している。

その辺にも、あの辺にもいるっていうのはこういうことなのかな。
いろいろなこと考えさせられる。


月命日に寄せて。