学会の質疑応答から考える、心理的安全性の確保
(旧題:物理学会のパワハラ体質)
元々アカデミア界隈はそんなに治安が良くないんだろうなあと思ってたのだけど、意識的にもマズそうと思ったのでまとめておこうかと。将来の自分が闇落ちしないとも限らないので、心が健康なうちに。
何があったか
発端はこのツイート。
物理学会では質問の前に「面白い講演をありがとうございました」などと枕詞をつける人はいないし、それどころか質問者は名乗りもしません。
— あ〜る菊池誠(反緊縮) (@kikumaco) September 21, 2021
それでなんの問題もないと思います。単刀直入に質問やコメントをして回答を得るだけ。
僕としてはとても違和感があったんですよね。そこでこういう引用リプしました。
それで問題が無いかどうかを、その中にいる人が決めてしまうことには危うさを感じる。
— Yuta SAWA (@sawawww) September 22, 2021
例えば学生等が萎縮しないか、別の形で敬意を表現できているか、等は最低限常にチェックすべきだと他人事としては思う。
特に最近物理学会の悪評見たので。 https://t.co/WfvH5zvij2
ちなみに悪評としてはこんなの。
物理学会に向かう新幹線の中で気付いたことを、発表後に質問されるかも知れないと思って、質問対応用スライドの最後に加えたら、案の定質問された。
— とある高専卒業生 (@subarusatosi) September 19, 2021
この時、質問者以外の人から、「もっと整理して来いよ」的なヤジを飛ばされたことはある
質問者A「それは何が面白い?」
— とある高専卒業生 (@subarusatosi) July 6, 2020
発表者「これは実用的にも重要で...」
質問者B(私)「量子ドットでは熱浴はフェルミオンですよね? 今は熱浴はボソンだったと思います。どうゆう応用があるのですか?」
司会者「くだらない質問だな」
という事もあった。
学会で聞いた一番きつい言葉は、「ここは物理学会なんだから、そんな卒論発表会みたいな発表はやってくれるな」 です。
— A Tak 自宅加速器愛好会 会員番号2 (@JF3NRI) September 20, 2021
正直いくらなんでも酷すぎるでしょう。確実にパワハラです。まあ物理学会がとてもデカいという話はよく聞くところですので、こういう「一部のやばい人」が稀に引き起こすというのは理解はできます。
ならないと思います。
— あ〜る菊池誠(反緊縮) (@kikumaco) September 22, 2021
おかしな人はどの学会にもいて、それは名乗るとか「素晴らしい発表をありがとうございました」と前置きするとか、そういう表面的な問題とは関係ありません。 https://t.co/00KVM9uwXV
が、その一方で一部の人だからしょうがない、とか物理学会全体には責任が無い、みたいなのは明確に間違っていると考えます。
何が問題か
「全ての人が最大限のパフォーマンスで科学コミュニティに貢献できるようにするべき」ということは大前提としてよいと考えます。それすら納得できない人はお帰りください(できれば僕とは間接的にも関わりがないところに行ってほしいですけど)。
この大前提をベースにした時に、何が大切になるのかといえば、最近流行りの心理的安全性というやつです。どういったものかと言えば、たとえ間違ったことを言ったとしても人間的には否定されないことを参加者がお互いに認識している状態のことです。まさに学会の質疑応答で人間性を否定されないことを参加者全員が共有している状態です。
さて、それを実現するのに一番配慮しなくてはならない対象はどのような属性の人でしょうか。それは弱者です。誰が弱者になるかはコミュニティによるでしょう。学会なら学生や女性であることが多いことが予想されます。それ以外にもバリアフリーの不備などがあれば老人や身体障害者も弱者になるでしょう。少なくとも大御所が自分自身が大丈夫か判断することではないのは当然です。
僕が一番問題にしてるのは、菊池先生の発言からそういう属性の話が一切出てこないことです。現在の文化は本当にそういう属性の人達にとって居心地がよいものでしょうか。ワンマン社長みたいな人が「弊社はみんな口は悪いけど、言いたいことが言えるんですよ」みたいに言ってたら、言いたいこと言えてるのはお前だけだろと感じると思うんですね。僕が感じている違和感はそんな感じです。
名乗ったりお礼を言ったり。僕はそれだけを問題にしてるわけではないです。しかし、そんな簡単なことさえ出来ないコミュニティに、それ以上のことが可能なのか。最初から不可能だと言ってるわけではないのです。可能かもしれない。しかし、別の非自明な方法で解決するのであれば、少なくともそれ、万人の共通認識になってないとおかしくないですか?
ちなみに期待していた答えは、「特にはじめての発表前後には傷つかないよう指導教員が入念にケアしている。また、質問時に名乗らなくても最大限の敬意を持つように指導している。さらにひどい状況は座長にもペナルティを与えている」くらいのごく当然のガバナンスの話なんですけどね。
— Yuta SAWA (@sawawww) September 22, 2021
少なくとも、こういう中身がすぐに出てこない時点でコミュニティとして対処する能力はなさそう、というのが僕の感想です。トレードオフ判断するにしたって、何を優先順位から落としているかくらい、共通認識にできてない時点で落第ですよ。
挨拶やら何やらは一見すると非本質的だし、もちろんそれがあれば解決する話でないのは当然です。しかしまあ、「物理学会全体の問題ではない」みたいな認識でそんな言葉を言うのは、単に自分が居心地のいい世界を変えたくないだけにしか映りませんね。
おかしな人やパワハラの排除は学会全体の課題ではないんでしょうか。
— Yuta SAWA (@sawawww) September 22, 2021
そして問題ないと主張している菊池先生がすでに重鎮であるわけですが、本質的にパワハラを受けうる若者も本当にそう感じているのでしょうか。 https://t.co/1e10mwnWPv
間接的な要因は選民思想と生存バイアス
きつい言葉で表現しないと伝わらないと思うので、書いておきます。これは、「自分たちは科学の徒であるから、内容に対する批判と人に対する批判を切り分けられている。受け取る側もそれができるはずで、できてない方がおかしい」という選民思想と、「自分たちは若い頃からこうやってきてなんの問題もなかった」という生存バイアスによるものです。このどちらも明確に間違っています。前者に関しては、前にこういうことを書きました。
これには二段階の話があって、「事象(コードや技術)に対する批判と、人に対する批判を分ける」というのと、「例え事象に対する批判であっても言い方はある」という話と。
— Yuta SAWA (@sawawww) April 8, 2021
どちらも大事なのだけど、1つ目で止まる人も偶に見る。 https://t.co/7vn3g1Ulnj
正しければそれでいい、というのはコミュニケーションとして明確に間違ってるんですよ。正しいことを目指すのと、心理的安全性を目指すのを両立すべきなんです。
そもそもの話として、別分野で修士までは取っていて、企業でも研究職の経験がある僕でさえ多少なりとも違和感を持つという時点で何かが壊れてるんですよ。Inclusivenessが欠けているんですよ。ガラパゴスなんですよ。同じ口で「万人に開かれた科学」みたいなことを言ってほしくないとすら思います。
性別がどうこうみたいなバイアスをかけて書きたくないですけど、20歳そこそこの若い女性が初めての学会できつい口調の男性から問い詰められる、みたいな状態だけで恐怖を感じることもあるでしょうよ。個人差があるからものともしない人もいるでしょうが、それを原因として研究分野を去ってく人だっているでしょう。心理的安全性を担保することは万人の目標であって欲しいですね。
どうすればよいか
本音としては、そんなガバナンスの効かない組織、ぶっ潰してもいいんじゃないかとすら思ってるんですよ。が、まあそんな事ばっかり言っててもしょうがないので。
結論から言えば、お礼や名乗りを導入するにせよしないにせよ、少なくとも学会全体として何らかの見解は出さないとどうしようもないんじゃないですかね。新しく入って来る人も含めて、恐怖を感じない安心できる運営が必要でしょう。
数年前に、勉強会だか技術イベントだかで、セクハラに対するガイドラインの整備かなんかをやってたところがあったと思うんだけど、そういうものを用意しておくだけでも価値はあると思うんですよね。
— Yuta SAWA (@sawawww) September 22, 2021
それすらできない「学会」なら潰した方がいいんじゃないかな、と他人事として。
より具体的には、いくつかの要素を盛り込む必要があるでしょう。
1つ目はハラスメントなどに対する考え方です。「学会の内外問わずあらゆるハラスメントは許さない」というメッセージを盛り込む必要があるでしょう。現実としては学会の外までは管理しきれないのはそうでしょうけど。そしてここには、立場によらずお互いにきちんと敬意を払うことを明記すべきでしょう。
2点目は、具体的にアウトな事例の列挙です。微妙なラインの事例もあるでしょうが、それも含めて上の事例なんかは確実にハラスメントであると書いておく必要があります。「それがパワハラになるなんて思わなかった」「私が若い頃はそんなのは問題にされなかったのにおかしい」みたいな感じの人、絶対出てきますよ。
3点目は、問題が発生した時の責任を学会が負うこと。これは加害者を免責したり、あるいは賠償するという話ではなく、逆に加害者にきちんと責任をとらせつつも、被害者に直接やりとりさせるような心理的負荷を与えないようにすること。
まあここらへんまでやってから言ってくださいよ。「名乗りとかの非本質的なことは必要ない。本質的なことはこうやって担保している。これが学問のなんたるかである。」と。
なんでこんなこと書いているのか
僕自身は中年のおっさんだし、物理学会には直接お世話になったことがないんですけど、やっぱり自分より若い世代が少しでも苦しまないようにはしたいんですよ。これから日本はどんどん貧しくなるし、少子高齢化で状況は悪化していくのは避けられないとは思うんですよ。僕のときと比べてもどんどん生きづらくなっていくんだとは思うんですね。
せめてこういう悪習を排除していく、悪習は悪習として認識できるようにしていく、くらいはしていきたいと思いました。
あと菊池先生の意見に賛同してる人達、結構いますけど本当に気をつけたほうがいいですよ。
追記(19:30)
タイトルを(半分恣意的に)雑に付けたせいもあり、その結果として物理学会に愛着を持ち、改善に向けて頑張ってる人達に対する応援にはならない(従って改善に向けた前向きな話とは受け取れられない)ということをちゃんと考えるべきだったかと思います。
(そうならないよう尽力している人たちもまた大勢いることは理解しています)
— Yuta SAWA (@sawawww) September 22, 2021
ある程度強い言葉で表現しないと伝わらないだろうと思っていて、かつ僕自身が所属しない中での話なのでこういう書き方をしましたが、こんなにすぐ中の人達まで届くのねというのが驚きではあります。逆に言うと、届くべきところに届いたので煽りタイトル残しておく理由もないのでタイトルは変えておきます。
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