学会の質疑応答から考える、心理的安全性の確保

(旧題:物理学会のパワハラ体質)

元々アカデミア界隈はそんなに治安が良くないんだろうなあと思ってたのだけど、意識的にもマズそうと思ったのでまとめておこうかと。将来の自分が闇落ちしないとも限らないので、心が健康なうちに。

何があったか

発端はこのツイート。

僕としてはとても違和感があったんですよね。そこでこういう引用リプしました。

ちなみに悪評としてはこんなの。

正直いくらなんでも酷すぎるでしょう。確実にパワハラです。まあ物理学会がとてもデカいという話はよく聞くところですので、こういう「一部のやばい人」が稀に引き起こすというのは理解はできます。

が、その一方で一部の人だからしょうがない、とか物理学会全体には責任が無い、みたいなのは明確に間違っていると考えます。

何が問題か

「全ての人が最大限のパフォーマンスで科学コミュニティに貢献できるようにするべき」ということは大前提としてよいと考えます。それすら納得できない人はお帰りください(できれば僕とは間接的にも関わりがないところに行ってほしいですけど)。

この大前提をベースにした時に、何が大切になるのかといえば、最近流行りの心理的安全性というやつです。どういったものかと言えば、たとえ間違ったことを言ったとしても人間的には否定されないことを参加者がお互いに認識している状態のことです。まさに学会の質疑応答で人間性を否定されないことを参加者全員が共有している状態です。

さて、それを実現するのに一番配慮しなくてはならない対象はどのような属性の人でしょうか。それは弱者です。誰が弱者になるかはコミュニティによるでしょう。学会なら学生や女性であることが多いことが予想されます。それ以外にもバリアフリーの不備などがあれば老人や身体障害者も弱者になるでしょう。少なくとも大御所が自分自身が大丈夫か判断することではないのは当然です。

僕が一番問題にしてるのは、菊池先生の発言からそういう属性の話が一切出てこないことです。現在の文化は本当にそういう属性の人達にとって居心地がよいものでしょうか。ワンマン社長みたいな人が「弊社はみんな口は悪いけど、言いたいことが言えるんですよ」みたいに言ってたら、言いたいこと言えてるのはお前だけだろと感じると思うんですね。僕が感じている違和感はそんな感じです。

名乗ったりお礼を言ったり。僕はそれだけを問題にしてるわけではないです。しかし、そんな簡単なことさえ出来ないコミュニティに、それ以上のことが可能なのか。最初から不可能だと言ってるわけではないのです。可能かもしれない。しかし、別の非自明な方法で解決するのであれば、少なくともそれ、万人の共通認識になってないとおかしくないですか?

少なくとも、こういう中身がすぐに出てこない時点でコミュニティとして対処する能力はなさそう、というのが僕の感想です。トレードオフ判断するにしたって、何を優先順位から落としているかくらい、共通認識にできてない時点で落第ですよ。

挨拶やら何やらは一見すると非本質的だし、もちろんそれがあれば解決する話でないのは当然です。しかしまあ、「物理学会全体の問題ではない」みたいな認識でそんな言葉を言うのは、単に自分が居心地のいい世界を変えたくないだけにしか映りませんね。

間接的な要因は選民思想と生存バイアス

きつい言葉で表現しないと伝わらないと思うので、書いておきます。これは、「自分たちは科学の徒であるから、内容に対する批判と人に対する批判を切り分けられている。受け取る側もそれができるはずで、できてない方がおかしい」という選民思想と、「自分たちは若い頃からこうやってきてなんの問題もなかった」という生存バイアスによるものです。このどちらも明確に間違っています。前者に関しては、前にこういうことを書きました。

正しければそれでいい、というのはコミュニケーションとして明確に間違ってるんですよ。正しいことを目指すのと、心理的安全性を目指すのを両立すべきなんです。

そもそもの話として、別分野で修士までは取っていて、企業でも研究職の経験がある僕でさえ多少なりとも違和感を持つという時点で何かが壊れてるんですよ。Inclusivenessが欠けているんですよ。ガラパゴスなんですよ。同じ口で「万人に開かれた科学」みたいなことを言ってほしくないとすら思います。

性別がどうこうみたいなバイアスをかけて書きたくないですけど、20歳そこそこの若い女性が初めての学会できつい口調の男性から問い詰められる、みたいな状態だけで恐怖を感じることもあるでしょうよ。個人差があるからものともしない人もいるでしょうが、それを原因として研究分野を去ってく人だっているでしょう。心理的安全性を担保することは万人の目標であって欲しいですね。

どうすればよいか

本音としては、そんなガバナンスの効かない組織、ぶっ潰してもいいんじゃないかとすら思ってるんですよ。が、まあそんな事ばっかり言っててもしょうがないので。

結論から言えば、お礼や名乗りを導入するにせよしないにせよ、少なくとも学会全体として何らかの見解は出さないとどうしようもないんじゃないですかね。新しく入って来る人も含めて、恐怖を感じない安心できる運営が必要でしょう。

より具体的には、いくつかの要素を盛り込む必要があるでしょう。

1つ目はハラスメントなどに対する考え方です。「学会の内外問わずあらゆるハラスメントは許さない」というメッセージを盛り込む必要があるでしょう。現実としては学会の外までは管理しきれないのはそうでしょうけど。そしてここには、立場によらずお互いにきちんと敬意を払うことを明記すべきでしょう。

2点目は、具体的にアウトな事例の列挙です。微妙なラインの事例もあるでしょうが、それも含めて上の事例なんかは確実にハラスメントであると書いておく必要があります。「それがパワハラになるなんて思わなかった」「私が若い頃はそんなのは問題にされなかったのにおかしい」みたいな感じの人、絶対出てきますよ。

3点目は、問題が発生した時の責任を学会が負うこと。これは加害者を免責したり、あるいは賠償するという話ではなく、逆に加害者にきちんと責任をとらせつつも、被害者に直接やりとりさせるような心理的負荷を与えないようにすること。

まあここらへんまでやってから言ってくださいよ。「名乗りとかの非本質的なことは必要ない。本質的なことはこうやって担保している。これが学問のなんたるかである。」と。

なんでこんなこと書いているのか

僕自身は中年のおっさんだし、物理学会には直接お世話になったことがないんですけど、やっぱり自分より若い世代が少しでも苦しまないようにはしたいんですよ。これから日本はどんどん貧しくなるし、少子高齢化で状況は悪化していくのは避けられないとは思うんですよ。僕のときと比べてもどんどん生きづらくなっていくんだとは思うんですね。

せめてこういう悪習を排除していく、悪習は悪習として認識できるようにしていく、くらいはしていきたいと思いました。

あと菊池先生の意見に賛同してる人達、結構いますけど本当に気をつけたほうがいいですよ。

追記(19:30)

タイトルを(半分恣意的に)雑に付けたせいもあり、その結果として物理学会に愛着を持ち、改善に向けて頑張ってる人達に対する応援にはならない(従って改善に向けた前向きな話とは受け取れられない)ということをちゃんと考えるべきだったかと思います。

ある程度強い言葉で表現しないと伝わらないだろうと思っていて、かつ僕自身が所属しない中での話なのでこういう書き方をしましたが、こんなにすぐ中の人達まで届くのねというのが驚きではあります。逆に言うと、届くべきところに届いたので煽りタイトル残しておく理由もないのでタイトルは変えておきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?