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人は何かやるのに理由を求める

人は何かやるのに理由を求める。でも、いらない。歌いたいから歌う。食べたいから食べる。話したいから話す。ごろごろしたいからゴロゴロする。投稿したいから投稿する。それだけでいい。理由は後付けでいい。「ご飯はお茶漬け、理由は後付け」ぼくが作った好きな言葉だ。人が理由を求めるのは後押しが欲しいから。理由ちゃんがいることで一歩を踏み出す力になる。そして理由をつけることで安心できる。何か失敗した時はその理由のせいにできる。

この投稿もいつもと違う書き方だ。文字ばかりだし断定形なのもいつもと違うだろう。でも理由は特にない。「なんとなく」出したいと思ったから。溢れ出てきたから。人生で最強の5文字は「な・ん・と・な・く」だ。なんとなくと言いながら、SさんやTさんという方が同じように改行もなく一気に書く書き方をしていてそこに触発されたところは大きい。自分も同じようにやってみたいと思ったからやってる。ただ、それには真似じゃないか、同じようにやっていいのか、という自分の目も多少ついてくる。

ただ、こうして書いてみて、やっぱり違う。型が同じでも同じものなんてない。SさんやTさんのようにはどうやっても書けない。もしも真似したとしても同じにはならない。特に自分が思っていることを出しているのだから型がどうとかあまり関係ない。昔から言ってること。ぼくのものはどんどんパクってください。ぼくは著作権フリー。「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」ジャイアンのようにどんどん使いたいと思えば使って欲しい。さわとんに教えてもらったとかさわとんの真似をした、とかそんなこと言わなくてもいい。「ぼくがやりたいからやりました」それでいい。結局すべてはつながっているしすべては自分オリジナルである。

結局オリジナルになるんだしぼくが持っているものはどんどん出すことに決めた。さわとんメソッド、講演会の内容、思っていることもいくらでも出す。ちょい出しとかってビジネス的なことで。本当はそんなもの超えてもっと出したい。いつ死ぬかわからんし。出していればどうせ何かの形で還ってくるのもわかってるから。こうしてそれぞれのオリジナルができて研ぎ澄まされる。それで十分。ただ、自分が出すのは追いつかないしキリがない、聞いてくれれば人が関わることや余程の秘密以外何でも出すので言ってください。

10年ほど前に悩んでいたことがある。ざっくり言うとほんわかさわとんでいくかストレートに思ったことを出していくか。そんな話をしてたらUさんという人が言ってくれた。「さわとんはどうせさわとんだからどう出してもストレートに出してもあったかさは伝わるよ」とってもほっとした、どっちでもいいんだって思った。これからもただ自分が思ったまんまに出せばいい。人のことは考えすぎなくていい。それが一番周りの人のためになるものわかってるから。

主語が何かわからない。そんな書き方が好きだ。誰かに言っているようで自分に言ってる。伝えるターゲットはいつも自分自身でもある。

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