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無知ゆえに描ける幻想

子どもの頃、東京の23区には会社しかないと思っていた。
高層マンションなんてものを知らなかった。
23区=都会
都会はビルばっかり=会社だけ
23区=会社だけ
という方程式。
だからこその「区」という特別な地名なのだと。
下町の存在はドラマで知っていたはずだけれど、そこが区だとは思っていなかったのだろう。
そこそこ大きくなって、テレビで23区出身の人を見たときの驚きは忘れられない。

アニメもそうだ。
パラパラ漫画の構造は知っていたけれど、カラフルであんなに滑らかに動いて声が出る映像がパラパラ漫画とはどうしても結び付かなかった。
アニメ製作の裏側でよく見るパラパラ漫画はただの完成予想図で、最終的にはドラマのように動いている人を撮っているとしか思えなかった。

最初は、アニメみたいな見た目の人種の人がいるのだと思っていた。
アニメもドラマの一種で、アニメの見た目の人が普通にカメラの前で演技しているのだろうと。
アニメの見た目の人は人口が少ないから、簡単にアニメに出演できるんだと羨やんでいた。

もしかして、アニメの見た目の人は存在しないかも?と疑ってからは、普通に人が演技しているところを特殊なカメラで撮るとアニメになるということで自分を納得させていた。
なんだかんだで、CGの先駆けみたいな見当の付け方をしていたみたいだ。

最低限の知識を身につけて、ある程度の情報はネットに転がっていて、それを調べる術も手に入れた今。
自分の頭のなかで組み立てた方程式を盲信することはできなくなってしまった。

この前見た舞台で、浮世絵を観たゴッホが日本は日の沈まない国だから絵に影がないのだと考える姿に、勝手ながら羨ましくなった。

勘違いをしたり誤った情報を信じてしまったりすることはあっても、想像力を総動員して限られた情報から思いを馳せることはもう出来ないのかもしれない。

あの想像の世界が恋しい。
今知りうる情報の外側まで興味を伸ばして行くしかないのだろう。

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