お金の平等さと不平等さについて

お金、すごいって話です。

 とりあえずお店の前で値段が決まってて、そのお金を払えば交換が成立する。
 ぶっちゃけ一般的なお金持ちの人よりお金のない人のほうがいろいろ面倒なので、薄利多売、厳しい商売になりがちだけど、それでもお金を払えば平等にサービスなどを提供してもらえる。
 お金の本質は交換で、それを円滑にするのが重要だし、また腐らないってのも大事な性質の一つ。(まあ最近の日本ではあまりに腐らなさ過ぎて困ってるんですけどね。物が腐る平均くらいにはインフレしてほしいものです。)
 正直、物々交換のほうが、決まった相手と取引するんだったらうれしいんですよ。今は取り換える手間ってものが非常に少ない社会なので、お金のほうが嬉しい、みたいなこともあるのですが、お金のやり取りだけだと気づかないものがいっぱいある。
 お金だと知っているものしか買えないし、今知ったものは今まで慣れているものより割高に感じるわけで、買わないことのほうが多くない?

 そんな感じでお金の取引は個人としてはあまりコスパがよくないわけですが、今世の中の取引のほとんどが法人によって行われているため、お金での尺度以外が機能しない。だから誰でもお金でサービスが利用できるわけで(法人は不快感を感じないため)、もので給料が支給されるような社会にもなっていないのです。

 つまり、物々交換は個人それぞれの尺度が詳らかになるような経済で、お金での経済は色がついていない。お金をうまく使える人たちが豊かな生活をして、お金を多く得ている一方で、少ないお金を無駄遣いしてしまう人たちが存在するわけです。(無駄こそが経済の本質、という話はまた今度気が向いたらします。)

 貨幣経済、能力の重み付きスカラーを取り出してる感じがする。いまもハナマサで買い物したけど店員さんいてくれてありがたいという気持ちと、店員さんであれば誰でもよかった感がせめぎあう。その点東京は透明でいられる(=代替可能)所が、自分にとっては心地いいんでしょうな。 おわり

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