「後悔しないように生きる」ことと、「後悔する」こと。(「後悔しない」のは無理って話)

 後悔先に立たず。いい言葉です。
 でもこれは自明なことを示しているだけです。後悔することは、必ず後から行われることなのです。つまり、
「後悔することは、それのもとになった出来事より先に行われない。」

 じゃあ例えば、いい判断をしたら、後悔ってしないのかな?
 私は、すると思います。もしその「いい判断」が、「思考できない程度に脳が損傷する」ってことでない以外は。

 じゃあ、後悔ってどうすればできるのか。実際行われた出来事と、行われなかった反事実を比較して、後者が優れていると判断したとき、と言えるのではないでしょうか。
 いきなり反事実とか言われても、困ってしまうかもしれませんね。そう困ってしまうのですよ。
 起こりえなかったこと(反事実)と、起こったこと(事実)を比較するのは非常に高度な技術のはず。私も学生のうちにできるようになっておきたかった。反事実でググると経済の話でいっぱいですね。
 でもみんな気軽に後悔してない?私もいっぱいした。ここの難しさの差ってのは、個人的な後悔は客観的に合ってなくても良いってことに集約されると思います。
 後悔って、ひたすら自分のものなんです。「自己不満足」の塊です。私たちが自分の人生について考えたときに、ひたすらに付きまとう影のようなものです。
 私も後悔の無いように生きようとして、なお後悔の念が消えないことに非常に不満がありました。努力が足りないのかな?と思ったこともあります。
 でも、後悔は私が意思決定したときに、必ずついて回るものなんです。反事実は、事実に対して無限にあるし、考えた分増えていきます。無理でした。逃れられませんでした。本当に。

 じゃあ後悔って無駄なのか、っていうとそうでもないんです。(まあ、個人の行動が、客観的に見て選択をどのようにしても大差ない、という点において無駄である、ということから悩むのも無駄ってのは正解。)
 後悔できることが示しているのは、過去を振り返る能力とそこから反事実を作り出せること。また、全く個人的な内容なので、自分のやりたいこと、やりたかったことが詳らかになる、というメリットもあります。
 じゃあ後悔しないように生きるってのは?というと、完全に前者を踏まえた自己分析めいたことになりますね。それが後悔しない、ということには必ずしもつながりませんが(というより、後悔するのは能力。前述)。

 ということは、後悔しないための解は、「死」と、「意思決定しない」ことです。でも後者、とても厳しい。前者は、前提が損なわれる(後悔できなくなる)(結構解ってこ身もふたもないことが多いっすね。つらい)。

 後悔しながら、後悔しないように生きて、後悔したこと自体を後悔しないように後悔しましょう!!???

(公開と後悔がごっちゃで、IMEさんがいっぱいポップする……)

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