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多国籍なチームにいた時の話

ドイツ、チェコ、セルビア、日本、シーズン途中にルーマニア。Pirna(ドイツ)にいた時はこんな感じの多国籍なチーム編成。

ドイツ人は仕事&学生しながら、セルビア人は学生しながら、チェコ人は仕事しながらの選手もいたし、完全なプロもいた。シーズン途中に合流したルーマニア人はキャリアのある大ベテランって感じで試合の時だけバイクをかっとばして300kmくらい離れた違う街から試合だけ合流って感じ。


GKのチェコ人は平日チェコで仕事をして、試合のある週末だけドイツに来て試合に出て、試合が終わるとチェコに戻っていった。たまに国境沿いまで車で迎えにいったり、送っていったりもした。


金額の差はあっても全員にクラブから選手としての対価があった。当時の監督(ドイツ人)はどんな事を考えてチーム作りしてたんだろうか。


因みにチーム全体の練習は20~22時。宿泊を伴う試合は殆どなくて、アウェーの試合は朝出発して、5~8時間バスに揺られて移動して、そのまま試合して、またバスに揺られて帰ってきてって感じだった。


アウェーのバスにはファン&応援団も一緒に乗っていくことが度々あった。クラブの企画で人数限定して有料だったと思う。行きのバスでは読書、音楽、勉強などそれぞれの方法で選手は試合の準備をしていた。ファンも選手の様子を見てそこまで話しかけてきたりはしない。勝てば帰りのバスはパーティー状態。


「クシはなんで、大学で建築の勉強していたのに、車の会社(ホンダ)で仕事をして、日本のトップリーグで選手をしていたの?なんでそれを辞めてドイツに来たの?」って当時のチームメイトに何度も聞かれた。


15,6年前の懐かしい話だ。

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