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サイババ体験談①

サイババ体験談①
OM SRI SAI RAM

自己実現への扉であり、扉の向こうの実在でもあるバガヴァン シュリ サティア サイババ様に つつしんでこの手記を捧げます。
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私が初めてインドを訪れたのは、1995年の7月のことです。
母がプッタパルティのババのアシュラムで行われるグルプールニマと世界音楽祭に参加するツアーに申し込む時、私にも行かないかと声をかけてきたので、私も母と一緒にツアーに参加しました。

当時私は実家を出て京都の大学の学生寮に住んでいて、関西の言い方では4回生、21歳でした。
母からはツアーに申し込む以前からババの写真のコピーやビブーティ、ソーハム瞑想の手引きのプリントなどが寮に送られてきていました。
私は、また母はなにか始めたみたいだ、と思いました。
(母はそれまでにも気功を習ったり、超能力者にところに行ったりして、常に何か新しいことに関わっていたので。)

そのように、私がツアーに参加した時、ババに関しては母を通じての浅い認識しかありませんでした。

新入寮生を上回生がだます毎年恒例の行事では、それらのなんだか面白そうなサイババグッズを使って、

「わたしたちは愛猿教という宗教を信じています」
と、猿の人形とともにババの写真を礼拝させ、ソーハム瞑想の手引きをしたあとに新入寮生に猿のまねをしてバナナを食べさせることすらしていました。


一方その頃、私の内面においてはひとつの完成をみた、と、自分で感じてもいました。

どういうことかというと、私は中学生の頃に読んだSF小説の中に出てきた「宇宙意識」という概念が自分にとってしっくりいき、その概念を感覚的に知っていたので、中学生のころから「宇宙意識」に自分の個人としての意識を一致させる作業をずっと内面でしていました。

なにか迷いがある時は「宇宙意識」に自分の意識をゆだね、「宇宙意識」に何でも選択させていました。
ですから、自分で決めたり考えたりする必要はありませんでした。
中学生というと反抗期で自我が出る頃ですが、その葛藤は「宇宙意識」の概念を得たことで素通りし、個人としての自我はあまり形成されないまま成長しました。

しかし時には欲望や見栄などが元で、その宇宙意識と個人の自分とのズレがしばしば生じ、主にそのようなズレは病気、事故、ネガティブな出来事として生活の中に表現されました。

そのような時は、その出来事を生じさせた原因となる自分の中の問題点を自覚し、反省してそれを手放す作業を人知れずしていました。

人間関係においても、私は当時21歳という若さも手伝って、誰に対しても従順で、ツアーに参加する1995年7月前頃にはだれとでも親しく一体性を持って接することができ、人間関係におけるしこりが全て消えた状態でした。

ですから、私は、私の人生における作業が終わったな、と、その頃感じていました。

私はもう宇宙意識からのズレを生じさせるエゴを全て捨て去った。もう何もとどこおりはない。今後は人生は流れてゆくだけで、寿命が尽きるまで生きることだけが私に残されたやるべきことだ、と感じ、安心していました。
これからは楽に生きられる、と感じ、幸せでした。

そんな、それまでの人生においての極に達したような精神状態の中で話を持ち込まれ、参加したインドツアーでした。

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