僕とスピリチュアルラウンジ

あけましておめでとう。今年はいままで一番良い年になるといい。僕も人間なので、年の始まりくらいは人並みにこんなことを考える。
これを見ているあなたに、今年もよろしくね。

年始早々Twitterで見かけたんだけど、スピリチュアルラウンジが閉店するらしい。スピリチュアルラウンジとは、札幌にある小さなライブハウスのことだ。
バンドマンなら誰しも思い入れのあるライブハウスがあると思う。僕にとってはまさにスピリチュアルラウンジがそれにあたるライブハウスだ。

昔のことを思い出しながら、僕とスピリチュアルラウンジのことを書こうと思う。僕は書かなきゃいけない。

また、完全なる個人的な記事で、尋常じゃない文章量になりそうなうえに、バンドの冒険録みたいな記事にはならないだろう。読む方はお気をつけて。また、投げ銭も受け付けてるけど、最後まで無料で読めるので読みたい方は安心してね。いくつになってもお年玉が欲しい。

そもそも、スピリチュアルラウンジは昔、札幌PIVOTという建物に入っていたライブハウスだ。その時の僕はバンドなんてやっておらず、一人で弾き語りなんかをしたりしていた。

その頃は、すすきのわたなべビルに入っていたLOGを軸にいろいろなライブハウスや路上で弾き語りライブをしていた。
自分がどうしたらいいのか、どう動けば良いのか、音楽についてもよくわからなくなっていた(いまもよくわかってないけど)時期でもあった。それでも歌うしかないと、がむしゃらにやっていた。

よくライブしていた中に「中村楽気店」という、ライブもできてお酒も飲めるバーなんかの要素もあるお洒落な場所があって、個人的には大層気に入っていた。ふざけた企画ライブをやったり、いろいろとお世話になったライブハウスだ。

ある日、中村楽気店にたむろしていたときにそこで店長をやっていた浅野さんに、
「澤田君、君の音楽はとても良い」「もっと多くの人に聞いてもらったほうがいい」と言われた。そのとき大体20歳前後だった僕からすると、音楽のことをわかっている大人に初めてまともに褒められた経験だったかもしれない。
ほんとに嬉しかったんだよ、認められているというかなんというか、言葉にしづらいけど、あのとき嬉しかった気持ちはいまだに覚えている。

その浅野さん。そのまま中村楽気店に貼ってあるライブのフライヤーを持ってきて、「この日とかどう?メンツもいいしライブやろうよ」と中村楽気店でやる一つのライブをブッキングしてくれた。
「このライブ企画してるのは中村楽気店ではなくいろいろなとこでライブのブッキングしてる「新保さん」って人なんだけど、ライブ出来るか聞いといてあげるからいけそうなら出てみなよ」と言ってくれたので、その話しを受けた。
ついでに、新保さんに気に入ってもらえたらいろんなライブに出れるようになるかもしれないから頑張りなよと。

後日、そのライブには無事に出演できて、新保さんとも繋がった。新保さんは主にスピリチュアルラウンジでブッキングをしている人で、自身でもバンドをやっているバンドマン。ということくらいの情報をもって接していた。その後、何回か声をかけてもらってスピリチュアルでライブをやったりもした。

そしてある日、中村楽気店が閉店すると聞いた。僕はかなり落ち込んだ。しかも後釜にスピリチュアルラウンジが入るというのだ。
落ち込んだと同時に、スピリチュアルラウンジによくわからず腹を立てていた。自分にとって大事な場所がなくなる上に、新しいライブハウスができるとか。なんだかよくわからずに腹を立てていた。腹を立てながら浅野さんにもいろいろ言ったけど一言、「澤田君ならどこでもきっと大丈夫、頑張って」と言ってくれてじゃあなんとかなるか、頑張ろうと思ったことを覚えている。現金なものだ。

中村楽気店がなくなってからは、新保さんからブッキングあったときは跡地にできたスピリチュアルに出るようにしていた。新保さんからは、「さわけん、お前やってる音楽はいいけどバンド組んだ方がいいね」とよく言ってたっけ。

いつしか、なんのきっかけか覚えていないけど、スピリチュアルラウンジに入り浸るようになった。そのころ、近くの漫画喫茶でアルバイトをしていて、終わったらスピリチュアルラウンジに行くみたいな生活になっていた。

ドリンクカウンターの横に座ってその日行われているライブを見て、打ち上げが終わるまで居て、終電はないからドリンクカウンターで仕事をしていたこーき君に家まで送ってもらい、またアルバイトをしてスピリチュアルラウンジに行ってを延々と繰り返していた。
バイトがない時も、こーき君に途中で寄ってもらってスピリチュアルに行くみたいな生活を送っていた。スピリチュアルが営業してないときはよくこーき君と遊んだりしてたなあ。

スピリチュアルにいるときは、ほんとごく稀に(回数にしたら2、3回くらい)受付の手伝いとドリンク作ったりをしていたくらいで、チケット代も払わず、なんの仕事もせず、毎日のようにご飯を奢ってもらい、ただただ、みんなに可愛がってもらっていた。

もう今は誰もいないけど、じゅんやくん、おかちゃん、こーきくん、そこで働いている人はみんな大人で優しかった。なにより、僕のつくる音楽を好きでいてくれたのが嬉しかった。振り返ると、入り浸るとかいうレベルではなく、もう住んでいたといってもいいくらいだ。また、みんなに会いたいな。

そのうちやりたかったバンドを組み、未完成VS新世界として活動をはじめた。
主戦場は言うまでもなくスピリチュアルラウンジだ。初ライブもみんなに見守られながらそこでやり、初めて企画ライブしたのもそこだ。結構、数えるのも面倒なくらい尋常じゃない量のライブをやった気がする。

そして、ある時から新保さんは道外からスピリチュアルに来札してくるバンドの対バンに未完成をぶつけ続けた。音楽的には気に入ってもらえてたのは知ってたけど、バンドとしても認められてきたんだなと嬉しかったのを覚えている。

話しは変わるが、僕と同じくらいスピリチュアルに入り浸っていた、あずみという男がいる。入り浸っていたというか働いていたんだけど。休みの日にも来るくらいだったから入り浸っていたで合っているだろう。
後からスピリチュアルに入ってきた松浦という女性のことがお気に入りで、結構、めんどくさいやつだった。めんどくさいやつだったが、あずみも僕のつくる音楽を認めてくれていて、良いやつだったし好きだった。めんどくさいやつだが。

僕が上京する決定的なきっかけとなったライブは彼が企画するライブだった。場所はスピリチュアルラウンジ。完全なあずみの企画ではなく、来札してくるバンドとの合同企画みたいな感じだったので出演の枠があまりなかった。
自身もバンドをやっていたけど、未完成を出したいからとその枠を未完成に決めて、自身でやっていたバンドでの出演はしなかった。結構、音楽やっている身からすると信じられない話しだ。自分の企画だけど、他の好きなバンドを出す。僕にはとてもじゃないけどできない。そんなに信頼されていることがとても嬉しかった。その日、未完成は結構良いライブをした。あずみ、元気にしてるかな。

そのうち、僕は上京した。上京する手前のライブもスピリチュアルだ。東京に来てからスピリチュアルでライブしたのは覚えている限りでは2回だけ。あずみがやってたバンドの企画ライブと、未完成の「誰にも知られずに消えていった誰かの歌みたいに」のレコ発かなんかだ。札幌でライブする時はmoleでばかりライブをやっていた。ちなみに、moleもめちゃくちゃ好きなライブハウスだ。moleにもよく遊びに行ってたなあ。大嶋さんに会いたい。というか、札幌が恋しくなってきた。

僕の青春時代はいつだと聞かれたら、間違いなくスピリチュアルに入り浸っていたときだと答えるだろう。いろいろな人に会い、たくさんのライブを見て、何ものにも代え難い経験をした。楽しいことも、つらいことも、かなしいことも、嬉しいことも。
音楽に関することはいろいろあるけど、心臓の部分は全部スピリチュアルラウンジで学んだ。僕は札幌以外でライブをするとき、いまだに札幌のバンドだというまえに、スピリチュアルラウンジのバンドだと思ってライブをしている。

何事でも、閉店するとわかったら、解散するとわかったら、なくなるとわかったら、なにかが終わるとわかると途端に騒ぎだす人が嫌いだったけど、その気持ちがよくわかった。

またいつか、キャパのわりに高いステージに立って、壊れたスピーカーで音を出したかったな。僕は音楽のことはよくわかってないけれど、あそこのジャズコーラス(ギターアンプ)は世界で1番いい音が出る。

詳細まで書くと長くなるから書かないけれど、新保さんとかには内緒で完全な私用で、閉店後にライブをさせてもらったこともここに書いておく。もう完璧時効だろう。

ありがとね、スピリチュアルラウンジ。

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