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信頼貯金 ~新しい時代の人間関係~(2021年12月28日メルマガ)

 2021年末にメルマガに書いた文章をそのまま掲載しています。年が改まる前の表現になっておりますので了承ください。

 おはようございます。気づけば今年もあと四日です。今日が仕事納めの方も多いのかと思いますが、「仕事納め」なんて言葉もすでに昭和の死語なのかもしれません。

 ある時期から、コンビニやスーパーや百貨店が年末年始関係なく営業しているのが当たり前になりました。すべてのお店が12月29日から1月3日まで閉まってしまうから、それまでに買い出しをして、祖父母の家でおそばやおせちやお餅を準備して大勢で過ごすなんて生活は、いつのことであっただろうかと思います。

 時代は確実に、かつ、目まぐるしく変化しています。実際、日本人にとって、江戸時代と昭和時代(←この表現も慣れません…)との隔たりよりも、昭和時代と平成時代との隔たりの方がはるかに大きいのだということを聞いたこともあります。

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 さて、今年はさまざまなコミュニティを経験することが多くありました。昨年から、組織に所属しながらもフリーランスのような働き方をしている自分は、職場ですら一つのコミュニティのようなもので、名刺も作らなくていいと断ってしまいました(いつまでいられるかもわからないので、紙の無駄です)。

 そして、多くの人間が集まった際の人間関係のあり方にも驚かされることが多くありました。

 一番衝撃的だったのは、コミュニティにおいて(ことに若い人に対しては)〝注意したりしない方がいい〟というものでした。確かに、私がかつて働いていた学校現場でも私が辞めたすぐあと、生徒が集まっている場で個人を注意してはいけない(あとで個別に呼んで注意をする)というお達しが出たということを知りました。〝こりゃもう、現場には戻れないな〟と確信しました。

 知り合いの大学の先生に話を聞いても、学生さん達にはまるで腫れ物に触るように接し、友達としての関係を心がけているそうです。何がきっかけで学校に来なくなるかわからないし、ハラスメントと受け取られる危機に常にさらされているそうです。ーー「漢文四天王」なんていう鬼のように厳しい教授たちがいた時代の大学生だった私からすれば、隔世の感です。

 現代的なコミュニティには、コンセプトによって制限のあるところもありますが、基本的には老若男女いろいろな人が集まります。私としては、大勢の人間が集まれば一定のルールやマナーはあって然るべきだろうと考えていました。

 しかしながら、約束を守らない、自分勝手なふるまいがある、してもらって当たり前で感謝の気持ちに欠けるといったことでも、現代は価値観が多様化しているため、言ったところで自分が悪者になることもあるそうです。

 私は悩みました。もちろん、気になることはその場で、相手に悟らせるような気の利いた言葉で伝えられれば問題はないようなのですが、私はそれが苦手です(それでも伝わらない相手や、改められない相手はどうするのかという問題もあります)。

 そこで得た結論は、〝距離を置く〟というものでした。そして、これはすでに現代では始まっている人間関係のあり方のようでした(note内でも、同じようなことをテーマにしている記事をいくつも見つけました)。

 そこには、明確化されたルールやマナーではなく、目に見えない「信頼」が存在しています。

 コミュニティの中でのルールやマナーに関して難がある人は、他者からの信頼を失う、あるいは信頼を得られない、そして、気づけば楽しくなくなっている、居心地が悪くなっている、最悪の場合は孤立している状態となり、そこで初めて〝なぜだろう〟と考える。ーーこうした事態が、これまでは他者からあったであろう〝注意を受ける〟ことに相当するのではないかというものです。

 (もちろん、コミュニティ内で誹謗・中傷を繰り返したり、何らかの勧誘をしたり、絶えず金銭や男女トラブルなどを起こすというのは、警察や法を介在させるべき問題でもあるようです。それは一言記しておきたいと思います。)

 せっかく「信頼」を積み重ねても、失う時は一瞬だったりもします。そして、取り戻すのが難しい。そういう意味では、他人から注意を受けるよりも厳しいあり方と言えなくもありません。

 この事実には、自分も気をつけなければならないと身震いしました。ことわざなどもまた昭和の死語かと思いきや、「人の振り見て我が振り直せ」ですとか、人間とその人生の真相とは実にシンプルだと思います。

 コミュニティですとか、人間関係のことを話題にした際には、〝世代間ギャップ〟ということも大事なポイントです。自分がどの世代であっても、あらゆる世代に属する人に対して思いやり(あるいは想像力)が必要であることを一方で感じています。

 例えば、森喜朗元首相は、今とは違う価値観の中で教育を受けてきた人です。私の父世代の男性はほとんど皆そうだと思います。言われたところでわからないのだと思うと、気の毒に思うことが多々あります。自分の気持ちを素直に表現するなどというのも、おそらく教育を受けていないのでできないでしょう……。

 最後はとりとめなくなってきましたが、一つには、今回とりあげたテーマが、現在進行中のものであるからだということがあると思います。今日ここで記したことですら、現時点での私の結論であり、誰しもにとってベストの解答でもないです。ーー現代を生きる人間の一人として、真摯にこの問題に向き合っていきたいと思います。

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 占い鑑定と古典文学や歴史の交差するあたりについての話題を音声配信スタンドstand.fmの「隠者ラジオ」ではお話していますので、興味のある方は聞いてみてくださいね。
 ※12月26日(日)に1か月ぶりに更新しました。『青天を衝け』(渋沢栄一)を話題にしています。


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