見出し画像

Singin’ In the Rain

雨となれば連想される悲しみや憂鬱な気分、そんなものを吹き飛ばしてしまうような愉快で楽しい名作ミュージカル映画、それが『雨に唄えば』である。

見るたびI’m singin’ in the rain lalala🎶とメロディーが頭から離れない。そして自然と笑顔になっている。

舞台はトーキーが普及し始めたハリウッド。当時の変化していく映画業界の華やかさを表現しながら舞台裏をコミカルに描いている。

太陽が照り明るいカリフォルニアを舞台にしながら「雨」に注目したタイトルにしてくるとは、まるで雨の中でさえも笑顔でいることができるハッピーな物語であることを意味しているかのようだ。

ミュージカルといえばやはり曲は重要と言える。名作と言われているだけありどれも名曲揃いであり、明るく早いリズムでキレのあるダンスと共に展開されるものが多い。複雑なステップをぴったりと息のあった動きで揃えてくる役者たちは見ていて気持ちの良い爽快感を得ることさえできる。歌は複雑なメッセージを伝える訳ではなく、”Good morning”と挨拶をしたり”Make them laugh!”とコミカルな動きをしながら繰り返したり、単純なものが多い。だが頭に残るメロディー、見ている側まで踊り出したくなるような陽気さ、見ている側を飽きさせないダンスで魅了してくる。まさにただただ「人を楽しませるため」にできているかのような映画だ。

駆け足で進んでいく物語に織り込まれていく笑いは映画公開から何十年も経った今でも古くなることはなく大学生のツボにハマるようだ。今まで無声映画を撮ってきた映画会社が声を映像に合わせようと奮闘し失敗を繰り返すシーンは特に面白い。

社会の問題を考慮して映し出し、強いメッセージ性を訴えてくる映画も良いが、何も深く考えずただただ観て、楽しんで、ちょっと歌を口ずさみながらステップを踏みたくなるような、雨降る憂鬱な心に光をさすことのできる映画も、今の時代でも、今の時代だからこそ沢山見たいなと思った。

ただ今の時代、「何も考えない」ハッピーな映画は作ることが難しいのではとも思う。人種のバランスを考慮しなければいけない、各性別の表し方も間違ってはいけない...映画を作る上で考えなければならないことは多い。この映画も女性は男性より弱く、登場するのは白人ばかり。舞台が古きハリウッドのため時代背景として問題ないが、今こういう映画を作れば色々と言われてしまうのではないか。

差別を無くそうとするあまり、考慮しすぎて「考慮してあげてますよ」感が強いと批判されている作品もある。綺麗に主人公とサブキャラが白人と黒人に分かれていれば、監督が純粋にそれが登場人物のイメージ的に良いと思っただけであっても、あからさまなポリコレだと思われ逆に批判されてしまう可能性だってある。八方美人は難しい。ロングドレスで王子に助けられるプリンセス作品は消えてしまった。女性は男性の助けをただ待つだけという描写は不適切で批判されるからだ。だが抹消することが正しいのか。0か100ではなく、強いプリンセスもいて、ドレスを着るのが好きで王子を求めているプリンセスの作品もまだ作ってはダメなのだろうか...

話が脱線してしまった。今の世の中、どういう映画が正しいのか、どうするのが良いのか、私が明言できることではないが、正しさを求めて色々と気にするあまり作品の可能性が狭まったり、ただ楽しい作品になるはずだったものが変わってしまったり、批判されてしまったり、純粋な気持ちで楽しめなくなってしまったりすることが起きている気もしなくはない。

そんな世の中でも、どうにか多くの人が素敵な世界に誘われ、深く考えず、ただただ笑ってハッピーになれるような映画がこれからも多く増えていってほしいと願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?