一人称

 なんでアメリカの人って、日本人と比べてあんなに感情表現が豊かなんだろう。

 前々から、ってそんなことをふわっと考えていた。もちろん、文化の違いとかそういう事は間違いなくあると思うんだけど、今日ちょっと面白い仮説を思いついたので聞いてほしい。

「アメリカ人の感情表現が豊かなのは、一人称単数形が【I】だからなんじゃないか」


もし、外国の方から「日本語では、自分の事を表す一人称をなんというのですか?」と聞かれたとする。これを一言で回答出来る人は誰もいないんじゃないだろうか?

私自身、文章を書くときは「私」だし、誰かと話すときは「僕」になる。もう少し親しい間柄の人には「俺」と言うこともあるし、「自分」みたいな表現をすることだってある。女性でも「私」「あたし」みたいな細かい言い回しの違いは出てくるだろうし、「あっし」「おいどん」とかまで含めるともっともっとその数は多くなる。

日本語というのは一人称が非常に多彩であり、さらに言えば、その多彩さには「性格」だったり「感情」のようなものだったりがある程度乗っけられる。同じテンションで話してても、「俺」より「僕」の方が柔らかく受け取られるし、「ワシ」とかになるとさらに違うはずだ。日本語は、感情表現を少なくしても伝わる情報がずいぶん多いのだと思う。

ところが、アメリカでは上記のすべてが「I」という一文字で表現される。男性も女性も、おじいちゃんもティーンエイジャーも、自分の事を表す言葉は「I」でしかない。

だから、その人の個性を出すためにははっきりとした感情表現が必要になるんじゃないだろうか。あるいはその逆で、元々感情表現が非常に豊かだから「I」だけで十分だったのかもしれない。

いずれにしても、一人称の豊富さと感情表現の豊かさには何らかの因果関係があるのではないだろうか。

時間があれば、もっといろんな国について調べてみたいと思います。

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