日常を彩るモノ

「ただいま。」
誰もいない真っ暗なワンルームの玄関で、一人そう呟いてみる。
コートをクローゼットにしまい、洗面所へ直行。ハンドソープで手を洗っていると、今日一日の出来事が頭をぐるぐる駆け巡る。

同僚や上司からの言葉、後輩に対する余裕のない態度。そんな、今日の不甲斐なさとともに手を洗い流す。パソコンで疲れ切った目からコンタクトレンズを取り出すと、ようやく仕事モードから解放された気持ちになる。
ふぅ、反省の毎日だ。

キッチンでちょこんと座っている小洒落た黒いケトルのスイッチを入れる。
カバンからお弁当箱と水筒を取り出し、この1〜2分の間にさっさと洗ってしまう。
中の水がボコボコと動き、スイッチの上がる音を聞いたとき、ふっとある記憶が蘇ってきた。

それは、ほんの1年前のこと。
フリーターだった私は実家の近所にある飲食店でアルバイトをしていた。

まとまった休みも好きなように確保できる環境だったし、これといってやりたい仕事もなかったから、どこかの企業で正社員として働くなど考えてもいなかったのだ。

盆・正月・GWなどの大型連休は、朝から晩までのシフトを十数連勤こなす。落ち着いた頃に休みを見つけては旅行をし、早く上がることができれば、おばちゃんたちと飲みに行く。そんな数年間を過ごした。

しかし紆余曲折を経て、ついに地元を離れての就職を決意し一人暮らしをすることにしたのだ。そして最後の出勤日、パートのおばちゃん達が就職祝いとして贈ってくれたのがこのケトル。
「こんなにたくさんのおばちゃんたちがついている。大船に乗ったつもりで堂々としていなさい。」
「ダメだと思えば帰って来ればいい。」「あなたなら、どこでだってやっていける。」
そんな心強い言葉たちとともに。
大きな色とりどりの花束の一つひとつが、私にはおばちゃんたち一人ひとりに見えた。

ケトルのほかにも、それぞれが個人的にプレゼントしてくれた物もある。
フライパン、電気圧力鍋、トースター、マグカップ、タンブラー。我が家のキッチン周りにあるほとんどがおばちゃんたちからもらった物なんだな。と思わず一人で笑ってしまった。

私はそのとき流行っていたドラマやコスメの話から、仕事や人間関係の悩みまで全ておばちゃんたちに話していた。小娘が生意気な口を利いても嫌な顔をせず、いつだって否定することはなかった。
どんなときでも私に寄り添いポジティブな言葉で励まし、包んでくれた。愛情だったなぁと感じている。

そんなことを思い出しているとおばちゃんたち以外からも、もらった物があることに気付く。
私が仕事職場を辞めるのがちょうどホワイトデーの時期だったこともあり後輩たちから就職祝いもかねて、たくさんのお返しをもらった。フェイスパック、リップパック、ヘアオイル、ハンカチ、ポーチ、メイクコスメ、お菓子、ギフト券。

ん? ちょっと待って。思考を巡らせる。
毎日お風呂上がりにはギフト券で買った珪藻土マットに水分を吸収してもらい、フェイスパックでお肌を整える。お出かけの日にはばっちりメイクをしてヘアオイルで髪をセット。ハンカチとポーチを必ずバッグへ入れ出発。

私は驚いた。こんなにも私の日常は誰かからのプレゼントで溢れていたのか。
ケトルもフライパンもパックもポーチも、贈り物ということを忘れていたわけではない。
ただそのどれもが、あまりに私の毎日に馴染んで当たり前になっていた。

さらにさらに巡らせる。
当時、私は後輩たちに仕事を教えたり指示を出したりする立場にいた。
「なんて偉そうだったんだ。」と今となっては思うが、自ら考えて行動できるようになってほしい。
自分のことだけでなく、みんながみんなをフォローし合えるようになってほしい。そんな期待を込めてどんどん新しい仕事にも挑戦させていた。

初めはできないこともあったが、どうすればできるようになるか、どう言えば伝わるか、試行錯誤しながら彼らに向き合った。すると、できることが一つずつ増えているのが目に見えてわかった。自らできることを探して動いているのがわかった。

そんな彼らの成長に対していつからか、自分は今何か成長しているのか、新しくできるようになったことはあるのか、自然とそう考えるようになっていった。それがきっかけで「自分も何か新しいことに挑戦したい!」と就職を決意した。彼らに教えていたつもりがいつの間にか、彼らから学びをもらっていたのだった。

この通り私は、おばちゃんたちや後輩たちから物だけでなく「愛情」や「学び」のような目に見えないモノまでもらっていた。無論、起きたことの全てがポジティブな出来事だったわけではない。いい意味でも悪い意味でもさまざまな感情を抱きともに過ごしてきたわけだが、今の私にとってはそれらすべてが糧となっている。

そして、そんなみんなのことを私は家族だと思っている。血のつながりだけではじゃなく、自分が大切だと思う人はみんな家族と呼んでいいと思う。いや、家族なんだ。

この時代は色んな情報がすぐに手に入り、つい知らない誰かと比べ「自分は何も持っていない」「自分には誰もいない」と思ってしまう。
けれど本当にそうだろうか。あなたの家と頭と心の中をよく見渡せば、家族からの贈りモノが必ずあるはず。物か言葉か感情か、何かあなたを支えてくれるモノが必ず。

そしてまた「してもらっていない」「言ってもらっていない」ことだけを考え、自ら与えることを忘れていないだろうか。物だろうと言葉だろうと感情だろうと、大切な人には自ら贈ればいい。
「誰もいない」と言うなら自ら家族をつくればいい。
家族との思い出が未来に向かう勇気になる。

カーテンの隙間から陽の光が差し込み、遠くで鳥が鳴いている。
いつものように歯を磨きながらトイレを済ます。
顔を洗い、コンタクトレンズを装着する。
ようやく視界がはっきりして、部屋は彩りで満ちていた。
「みんな、おはよう!」


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