1000年後の人類学者さまへ
連日の快晴にちょっと心がついていけないまま、わたしはあれよあれよという間に年の瀬に巻き込まれている。半袖Tシャツで近所にあたらしくできた図書館に入り浸っている。本も読まずに、ただ眺めている。大量の本を借りては読まずに返すくせが長年にわたり習慣化してきていることに気づいたので、まずそれをやめることにしようと決めたのだ。よっぽどのことがない限り、借りない。しかしそのよっぽどのことはやはりよっぽどなので、わたしはひょっとしたら一生本を借りることもなくこの生を終えることもなくはないのではないかと思う。
現在28歳、あと二週間もしないで29歳のこの身である。
自身の進退を気にもせずのうのうと暮らしてきたのだが、ひさしぶりに、いえ見ないふりをしてきた将来という漢字が近頃やけに目につく。
カナダで2年ちかくを暮らし、あるひととの結婚話を棒に振ったのだが、わたくし自身から発せられたその理由が「やりたいことがある」だった。
どの口がいったのか、聞き返してもその口は「やりたいことがあるから」をおうむのように繰り返している。
具体的に、こんないい男との結婚をあきらめてまでやりたいことってなに?と聞いても上記の答えである。
おまえのやりたいこととはなんなのか?
わたしはじぶんの中から勝手に発せられたその音声にいまやっと耳を傾けている。
はたから見ればやりたいことを十分いままでやってたじゃんと怒られそうな話ではある。
でも、違うのだ。
私は、19歳で家をでてからというものの京都に引っ越しそこでバーテンダーをやりつつ各地を放浪しときにパフォーマーとして舞台にたち、失恋してニューヨーク、のち東京で映像制作、のちカナダに移住してこの世の華とばかりに遊び、すてきな小さいカナダ人に出会い、その両親とも仲良く、クリスマスは小さな島の別荘であたたかい黄色い光に照らされていた。
でも、それらはすべて何かやらねばならないという妙な焦燥感が生み出し続けてきた結果であり、私自身が発したシグナルとはどこか微妙にずれているのである。
だからなんなんだよ!といわれたらはいすみませんと言わざるを得ない。
わからないのだ。
わからないなりに、何かしようと思ってはいるのだがついつい日がな一日を毛玉だらけのスウェットで暮らしてしまう。
そのカナダ人の彼とは、旅行先のイタリアで別れ、帰ってくるねとウソをついたわたしはいまひとり神奈川県郊外の公共施設にて高校生に囲まれてぱちぱちと弟から借りたパソコンをたたいている。
イタリアのシチリア島でさされたくらげの跡ももう見えないほどに、月日が経ってしまった。
わたしはとうとう無職である。明日は遺跡発掘のバイトの面接があるのだけれど、じぶんでもなぜそんなバイトをしようと思ったのかよくわからない。
深夜あまりのひまさ加減に脳天がきりきりいたむので、ふとタウンワークでみつけたスコップで土を掘るおしごと!の踊り文句に飛びついてしまった。土に触ればなんとかなるとでも思っていたのだろうか。自身にヒッピーの種をみる。
帰国したのは8月の終わりだったと思う。
その後、イタリア旅行をすべてクレジットカードでまかなうという所業の報いとしてわたしは高時給であればなんでもやるべしと新宿でOLのクチをみつけ、ひとまずはそのクレジットカードの返済のためにがんばってデスクに座り続けてみた。
この仕事を要約すると、今年渡日予定の留学生からやってきたメールに返信するのが主な仕事なのであるが、それがきてもせいぜい一日2~3通なのである。
しかも、内容は飛行機には荷物何キロまでもってっていいの?といったたぐいのGGRという新語を3文字送ってやりたい気分になるようなものばかりであった。
時間はゆうにあるのでわたしはいやがらせのごとく丁寧なメールを各人に返信し、のこった時間(いくらがんばっても7時間はあまる)はWORDでなにか書類を作っている体で日記を書いたり、禅の世界をひとりで体験したりといったことでつぶしていた。
この仕事がきつかった。いままで真夏の屋根のペンキ塗り、泥まみれの山中撮影、肉屋の清掃等いろいろ経験してきたが、これがわたしの28年間の人生で経験した仕事のなかでもっともつらかった。
プラスして新宿からの電車に40分揺られての通勤も恐ろしくキた。世の中のひとびとがさっぱり理解できなくなり、いままで親しみを感じていた飲み屋のサラリーマンのおっさん軍団にもハテナの念が消せなくなってしまった。
いままで会社勤めというものを知らずに生きてきたので、サラリーマン、OLの方々はなんだかよくわからないけど大変なんだろうな、と思っていたのだが、わたしの見る限りあまりにも時代遅れというのか、年功序列男女差別等々いままで化石と化していたと思ってたそういった出来事がありありとそこにはみえた。
まず意味のない書類のコピーをしすぎであったり、意味のない会議、意味のない残業、さぼっているあいだのいきいきとした彼らの顔、ランチへの執着等、このひとたちはなにがたのしくて仕事をしているのか?と心底ふしぎなきもちが止まらなかった。
なぜ上司が明らかな間違いを犯しているのに誰も指摘しないのか、わたしがやることありませんか、とせがむとネットでもしてて、という上司、いったいなにがどうなってこうなってしまったのか。
金だけ稼いで速攻で退職したわたしは、その後ふとみつけた秘境の温泉宿で働いてみませんかとの誘いにのり、長野の秘境にあるくたびれた温泉宿で女中としてしばし働いた。どうも露頭に迷うと自然に還るてらいがあるらしい。
明日から、こつこつと文章だけでもしたためて、ある1000年後くらいにこの時代の30代前後のいち女にはこういうのもいたらしい、というときに読んでもらえたらと思っている。
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