見えないもの

最近は勉強に学外活動と忙しく、昨日は更新することがでなかったので少し長めに書こうと思います。

今日は僕の虐待に対する考えを書きたいと思います。

本日昼間、昼食を食べている時にとあるニュースを見ました。ここでは詳しいことを書くのは控えますが、その中で虐待の発覚のきっかけとなった録音を聞きました。

僕はそれを聞いてこう思いました。「ああ、この家もなのか」、と

「うわ、ありえない」と思えませんでした。

もちろん虐待を受けていた子供に対しては、心配はしていますし、今後しっかりと生活を保証してもらいたいと思います。

でも、そもそも虐待は身近でないわけではないと思うんです。あのレベルの虐待は身近ある、と思ってしまいます。

実際、僕はあの音声内容と近いことを受けているし、自分で録音した音声を聞き直してみても相変わらないなと思いました。

僕よりも年齢が低い子ではあることは確かで、守らなくてはならないのもわかります、発見されてよかったと思います。でも、この実態はきっともっと多くの家庭であるでしょう。発見されていないだけで。

僕は思います。ニュースに取り上げるぐらいなら一回のインパクトだけじゃなくてもっと長く責任を持って扱ってくれと。なんのために広い範囲に発信できるツールがあるのか、と僕は思います。

こういった子供の人権が守られない世の中ではいつまで経っても才能の芽が摘まれていき、新しい事も起き負ければ発展もない。僕は別にどうこうするつもりはありませんが、せっかく発信できるツールがあるのにそれを使わないのは本当に日本の問題に寄り添っていると言えるのでしょうか。

・・・・・・僕は今、怒っているのかもしれません。

『今週の一曲:ひともどき/まふまふ』

この曲は2020年10月18日、まふまふさんの誕生日に公開された曲です。最初に見たときは顔出しがされていて本当に驚きましたが、その驚きと同等の曲の濃さだったと僕は思います。

ひともどきという曲名を見たとき、「ああ、待ってた」と思いました。今僕が迷いに迷って生きている不安定な状態を一言で表すならこの言葉がしっくり来ると思いました。

僕はこの世を生きづらいと感じながらも結局この世にすがっています。それはこの曲の歌詞にもあるように思えます。僕の自己解釈なので作詞作曲されたまふまふさんがどう思って作られたかは分かりません。

でも、僕には行きづらい世の中を嫌っているけれどそれでも必死に足掻いて、縋って、普通の人間になりきれずに生きている。だからいっそのこと殺してくれと思うけれど、でもどこかで救いを求めている、そんな曲に聞こえます。

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