見出し画像

弓道愛を語る

今日は唐突に弓道愛を語る。

人が楽しそうにやっているものに人々は魅力を感じる。だから、楽しそうにしている事こそが物事普及の近道。

そんな話を聞いては語らなければならないだろう。

私は弓道が好きか嫌いかで言ったら好きだ。
でも毎日もうヤダ…とか思っている。

弓道は単純である。射法八節と言う型があり、その型以上の応用などは基本的には存在しない。
ルールは簡単であてるだけ。中れば場所は関係ない。中れば良い。

弓道の練習とは、究極にザックリ言えば、永遠と的に向かって、同じ動作をいかに正確精密に行えるかを練習する。

もう自分の人生の半分は弓と関わり、毎度同じことを繰り返している。しかし一回でも出来た試しはない。

そう、一回も出来たことはないし、未だに新しい発見があり、気付きがあり、悩み続けている。

正直向いてない。
骨格にも体型にも恵まれていない。

でも続けてしまう。何故なのか。

本当に弓道ヤダ!と思った時に、先生や先輩、弓具店の方(女性)など、ありとあらゆる尊敬出来る方に弓道を続ける理由を聞いたことがある。

口をそろえて出てきた言葉は
「ツライ」「忍耐」「ただただ我慢」「何も楽しくない」「なぜ続けているんだろう」
と言った信じられないくらいネガティブな言葉で、

それでいて誰一人、
「やめたい」

とは口にしないし、もう何十年と続けている。

そしてそれらの言葉に共感しかなかったし、それが続ける理由にもなるのだろうなと感じた。


…おそらくは「悔しい」から続けるのかもしれないし、もっと先を見たいと思う「探究心」がそうさせるのかもしれないし、それは正直人による所だろう。

私個人としては、これは「片想い」なのだと思う。

頑張っても手が届かないし、正解もわからないし、ただ好きなんだけれども振り向いては貰えない。
悔しいし、ツライのは嫌だし、でも関係が切れちゃうのはもっと嫌だし、どうやったら出来るんだろう、どうやったら、もっと親密になれるんだろう…

そんな、割とツライ類の片想いである。がしかしそれが良い。

きっと短絡的に楽しいものであったら、こんなに執着しなかっただろうなと思う。すぐにわかってしまうものだったら、ふーーん、あーーね、で終わっていたとも思う。

ツライならやめちゃえば?とかではないのである。
気づいたら、理由はないけどめちゃくちゃ好きになっていて、しかも一方的すぎる片想いで、全然両思いになる気配がない。

たまに少しわかった気がして、距離が近くなった気がしたりして嬉しくなっていると、ある日急に素っ気なくなっている…。

そんな生き物じみた魅力がある。


現に私は、「弓道が出来て嬉しい」人には多く出会うし、自分も思うが、
「今日も中(あた)って爽快✨楽しい!」
と言いながら弓を引いている人をあまり見たことが無い。…「あまり」をつけたが、正直記憶にない。

弓を引けるようになるまで約3ヶ月。やっと弓を触らせてもらえた感動。はじめて中った時のワクワク感。

そう言ったものは経験したし、幾たびか目にしてきたが、年月を重ねるたびに、「弓道はもしかしたらそう言ったものではないのかもしれない」と考えるに至ってきた。

中るようになったら次は「はずしてはいけない」闘いが待っている。

的中だけではなく、自分の一挙手一挙動、呼吸・目使い・空気感…全てが気になるようになってくる。

正直沼である。
全然楽しくない。

だがそこが楽しい…。

…わかるだろうか。
おそらく共感があったり、この稚拙で悲惨な文章を読んで「面白そう!!!」と思った方は弓道をはじめたら絶対に惚れてしまうだろう。少なくとも私とは類友である。

弓道はそんなんじゃない!!
と言う方ももちろんいるだろう。100者100様の感想があっていい。私は貴方を認めるので、貴方も私の在り方を容認して欲しい。

弓道から受けた恩恵や気づき、私にもたらしたものはとても多く、私は弓道に感謝している。本当に大好きだ。一生一緒にいたい。好きだ!!きっと私は片想いし続ける。

だからと言って普及する為に、楽しい!を詰め込んでくれ!!と言われた所で、そうはならない。
そんな安易で安直で楽しくてカッコいいものではない。
もっと泥臭くて、地道で、地味で我慢と忍耐ばかりなもので、私はそこが好きなのだ。そこに魅力を感じているのだ。

これを言うのは2回目になるが、
これを読んで弓道っていいな!はじめたい!
と思った方は、今すぐはじめる事をオススメする。

少なくとも私とは類友なので、道場でいつかお会いしましょう。その日を楽しみにしています。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?