弓道が滅びる日

弓道が滅びる日がくるのではないか。
そんな事を弓道を嗜んだ事がある人は一度くらい考えるだろう。

私も考えた事がある。
その為に弓道を広めようと方々必死である。
無論私も弓道を世間に広めたいと思っている。

ただ、「弓道が伝わらない」なら「滅びればいい」と思っている。なんでもいいから広まれ!とは思っていない。滅びれば良いと思っている。

弓道とは何か。
それは弓道を嗜むもの各々が答えを持っているだろう。

私には私なりの考えがあり、憧れとするものがあり、それは私の体では一生の時間をゆっくり費やさなければ叶わないと考えて弓道に取り組んでいる。
言い換えればだらだら取り組んでいる。
実はあと数年で歴は20年になる。

もうすぐ弓道歴が成人式。その時間の中で、私なりに沢山の話を聞いてきた。そんな中で、真であろう、カッコいいであろう、美しかろうものだけ選択して生きてきた。都度自分の未熟に気がつき、叱咤激励されながら今の私が構築されている。

そんな中でこの数年変わっていない考え。
それが「滅びればいい」である。
変容する事で適応し、生き残る。進化は重要なことである。ただ、伝統においては一考すべきだと考える。

ある弓道教室の話を伺った。
自然体で立つのが基本の弓道において、
「手は袴の線にあわせろ」
と指導していたそうである。どうしてそうなったかと言えば、「説明が簡単だから」だそうだ。そうでないと出来なくて辞めてしまう人もいる。つまらないと思ってほしくないから「わかりやすく」したと言うことらしい。

それは弓道だろうか。正直この時点で私の知っている弓道は滅びている。

それが大多数になった時、今の常識は失われていく可能性すらある。

体配と射の繋がりがわからないと言う声も、繋がっていた物がなにかの拍子に消失してしまった結果だろうと思う。

入場の時に作った執り弓の姿勢。隙のない姿勢。その時の筋肉の張りを退場するまで一瞬たりとも崩してはいけない。隙を作ってはいけない。それだけのシンプルさがなぜ伝承されなくなったのか。

10年以上審査はうけていない。段位は学生時代の参段のまま。それでもおおよそ20年を前に、はじめて「弓の上下」くらいは指摘して直してあげられる。と思った。

私がメディアでやりたいのはそう言うことである。

偉そうに射技指導したいわけじゃない。
はじめて地球にきた異星人に完璧な弓を引かせたいわけではない。そんなの日本人だって無理だ。

何がしたいかと言えば、最低限女優さんやスタッフさんが怪我をするリスクをさげてあげたい。弓道してる人があまりに不幸になる弓道は避けたい。

せめて手の内(左手の弓の持ち方)だけは3分でもいいから練習しないと、引いただけで手首を痛めたり関節を痛めたりするかもしれない。暴発したら顔が流血するかもしれない。


「女優が撮影中に弓道で顔から流血」
なんてネット記事になった日には、今以上にメディアに弓道が取り上げられなくなるだろう。

たったそれだけだ。

下手だから私にやらせろ!プロデュースさせろ!

では決してないのだ。

好きなものを大切にしたいからこそ慎重で、臆病になってしまう。そんな自分の気持ちを大切にしたいし、私の知っている弓道こそが弓道だと思い込む愚行と愚考は避けたい。そんなものを広めようとも思っていない。人の弓道を滅ぼそうとは思っていない。そんなものこそ、自分の弓道ですら、その時は「滅びればいい」。間違ったものを広めるくらいなら滅びた方が幾分か弓道の為である。

私こそが弓道を滅ぼす者にはなりたくない。

まだまだ知らない。ただ基本に忠実に。ただ、弓の上下くらいは。。。

それだけの気持ちである。

それを勘違いされたくない。
それだけの気持ちである。

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