思い出話を残しておきます。
はじめまして。
satsuki-kana.comと言うアカウントで、「satsuki-kana.com~神戸から世界へ~」と言うブログをはじめ、各種SNSでアイスダンスの村元哉中選手と、そのお姉さんで木下アイスアカデミーの講師・村元小月(さつき)さんのファンアカウントを運営していました。
アイスダンスに転向しオリンピック出場、髙橋大輔選手とカップルを組まれた事で、多くの人に知られて愛されるようになった村元哉中選手。
私自身が、諸般の事情からフィギュアスケートファンとしては「お茶の間ファン時々現地観戦」のスタンスに落ち着いた事。かなだい組になって、公式サイトまで出来た事。(村元哉中オフィシャルサイト)(そしてsatsuki-kana.comと言うアカウント名が紛らわしくて申し訳ないです)
当時は、ご本人やご家族より直接コメントや写真を掲載させて貰えていましたが、今となっては難しくなりました。これ以上、いち個人での情報発信するには限界があると言う事で、ファンアカウントとしては無期限休業しますと言う事にしていました。
ファンアカウントとしての役目は終わったのですが「かなちゃんの昔話」ぐらいは残してもいいかな?と思い、noteに場を移し世に残しておきたいなと思います。
特に、アイスダンスに転向した頃の心境なんて、今となっては貴重な資料じゃないでしょうか。あの「かなだい」のかなちゃんが、どんなきっかけでアイスダンスに転向したのか?プロのライターではない素人のインタビューではありますが、これは是非残しておきたいです。自画自賛ですが、ファンだったからこそ引き出せたかなと思っています。
出来るだけ「かなだい」のエピソードに繋がるものから、少しずつ掘り起こしていきますね。
親戚のおばちゃんが、すっかり大きく美しくなったお嬢さんに「あんた小さい頃そこで泣いててんよ~」と、下世話な昔話をして「おばちゃんいつの話よもう!恥ずかしいからやめてよ!」と叱られちゃう。そんなスタンスでいこうかな?哉中ちゃんに怒られない程度に…(笑)
「かっこいい」「姐さん」「大ちゃんをよろしくお願いします」
村元哉中さんに寄せられる、多くの応援コメント。
最初から強くてかっこいい哉中ちゃんじゃなかったんだよ。
村元さんちの甘えん坊の末っ子だった。沢山泣いて、沢山悩んで。勇気を出してアイスダンスの世界に足を踏み入れた。アイスダンスでも沢山の事があり、3人目のパートナーとなったのは「貸し切りで一緒の時はずっと見てるんです!」と嬉しそうに語っていた、あの髙橋大輔さん。
憧れの大ちゃんから、パートナーの大ちゃんへ。
少しずつ、合間を見ての更新となりますが、かなだいの村元哉中選手を愛する多くの皆様に楽しんでいただけますように。