2024年4月2日 雑記「VTuber7年目と、社会人6年目」

 VTuberを始めたのは大学院生の頃だ。当時はまだ博士課程に進もうと考えていて、企業に就職する気はまったくなかった。VTuberを続ける気もなく、動画を数本投稿するだけのつもりだった。しかし、思ったよりもバズってしまった(以前の記事を参照)ことで、ここまでずるずると続けることになった。

 修士課程修了前の夏には、かなり進学の決心が揺らいでいた。ここから28歳まで(一応、がんばれば少額でもありつけるような制度はあるにはあるのだが)おそらくほぼ稼ぎのない状態であることへの不安が強くなったことと、僕が研究している分野自体がこの国でいつまで力を持っていられるのかわからなかったということが大きい。当時は京都大学というところに所属していたのだが、勝手にそこは「潤沢な予算で優れた研究者を大量に養成するところ」なのだろうと思っていた。だんだんとここには「これから金になるかわからない若手研究者を抱えていくような余裕はもうあまりない」らしい、ということがわかってきた。最近では色々な大学が金になる機械学習系のポストを増やし、金にならなさそうなポストはどんどん減らされている。将来への不安に勝てなかった僕は、ぎりぎりで就職活動を始め、ドワンゴの企画職ともう一社のデータサイエンティスト職を受け、ドワンゴに落ち、もうひとつの会社から内定をもらった。「未経験からデータサイエンティスト」というやつだ。後にドワンゴのRPGアツマールコラボ企画でンヌグムのゲーム「にくミツケ」が出たのは皮肉な話だ。

 ほとんど何のスキルもない僕を拾ってくれたのは、従業員がまだ十数人のベンチャー企業だった。プログラミングもほとんどできないまま、研修もなしに一日目から仕事を渡される。なにがなんだか理解できない。本を読んだり、他の社員に聞いたり、近そうな言葉をグーグル検索でひたすら調べたり。入社前に予習はしたつもりだが、「お勉強」はほとんど役に立たなかった。
 一ヶ月ほど経つと、なんとなく仕事のしかたが身についてきた。すんなりといくことはひとつもないが、頑張ればできるようなことはどんどん増えていった。それでも常に、自分は社会人には向いていないということを思い知らされた。いつかはVTuber活動のような好きなことだけをして暮らしたい、という甘えた考えに浸ることも多かった。とはいえ、当時僕がしていたVTuber活動といえばほぼ誰とも交流せずにひたすら同じような動画を作ることだけだったので、ずっと続けられるようなものでもなかっただろう。
 しばらくすると、会社でもYouTubeをやってみたくなってきた。「好き」を仕事にする第一歩だ。小さな会社だったので、なんでもかんでも口を出すことができた。採用広報へのYouTubeの活用を推し進め、コント的な動画を投稿したり、YouTube Liveでセミナーや他社とのコラボ配信をするようになった。YouTube Liveで配信をした回数は(おそらく今でも)プライベートなアカウントよりも会社公式アカウントからのほうが多いと思う。宣伝効果はかなり大きく、応募者の多くは会社のYouTubeチャンネルを見てくれていた。

 3年半ほど働いた後、転職した。明確に「やりたいこと」(VTuberとはまた別)ができたからだ。前よりも大きな会社なので、好き勝手やることはできなくなった。それでも、自分のしたかった仕事ができるようになったことは嬉しかった。
 数ヶ月後、僕は初めて「VTuberに会う」という経験をする。それまでずっと一人で活動し、たまに依頼された動画を提供するくらいで、VTuberとしての他人との交流などほとんどない。活動5年目でようやく危機感を持った僕は、「兄ちご」という(かなり妹に迷惑をかける形で活動している)ふたつめのキャラクターを使って、他のVTuberと積極的にコラボしようとしていた。打ち合わせのため、まずは肉赤子ちゃんと会ってみた。居酒屋を出た後に新宿を歩いていると、近くにいた他のVTuberたちが「ンヌグムがいるらしい」と噂を聞きつけて大勢やってきた。それまでの長い孤独な活動でできなかった体験を取り戻すように、短期間で一気にVTuberの友達を増やしていった。僕はVTuberとしてもう一度新たなスタートを切った。何の借り物でもない僕自身の姿でみんなと接するため、「ンヌグム」でも「兄ちご」でもない名前を持つことにし、「殺人崎 抉斗(さつじんざき えぐと)」が生まれた。

 それから数々のコラボやイベントを経て、VTuber活動7年目(6周年)を迎えた。ちょうどきりよく、チャンネル登録者数も66,666人に達した。昨日からは社会人6年目でもある。

 VTuberと社会人、どちらもなるつもりのなかった立場だ。それがもう、こんなに長く続いている。数学者としての道でもたくさんの出会いやかけがえのない経験があっただろう。才能にも運にも恵まれず困窮して行き倒れていたかもしれないし、すごい研究を残せていたかもしれない。そちらを選んでいればどうなっていたかはわからない。ただはっきり言えるのは、この生活に今のところは満足しているということだ。


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