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10年間の副業物語🍀凡人おっさんの経験談

第1話
副業を始めたきっかけ


副業を始めたきっかけ

2021年現在
今から約10年前、当時年齢は30歳、結婚して2年目、長男が生まれたばかりの時、仕事は和食の調理師をしていた。

副業を始めきっかけは、職場の労働時間が長かったこと、休日が少なかったこと、それによって家庭が崩壊寸前になったからだ。

給料が少なくなってもいいから、労働時間8時間・週休2日の会社に転職し、家事や育児に率先して参加したうえで、家族が寝静まった深夜に副業をして給料の不足分を補おうと考えたのだ。

とはいえ長年続けてきた仕事を転職するのは抵抗があった。なぜならこの調理師の仕事に誇りとプライドを持っていたからだ。

20代前半、過酷な環境を乗り越えてきた分、料理人としての思い入れが人一倍強かった。

家族を幸せに導くためには、給料が低く労働時間が長い調理師の仕事をやめなければならない。

これまで培ってきた調理技術、職場の仲間との信頼関係、足を運んで下さるお客様とのお付き合い、全てを捨てまた一からスタートなんてできるのであろうか?

悩みに悩んだあげく、ある事件をきっかけに自身の考え方を全て変えていくのであった。


調理師見習い時代の過酷な環境

和食の調理師になったのは高校を卒業した18歳の時だった。

某ホテルの和食調理師の見習いとして入社し、先ずは職場の過酷な環境に面食らった。

・労働時間が長い

・休日が少ない

・給料が少ない

・上下関係が厳しい

仕事は早朝から深夜まで、休日は月に2~3回程度、給料も初任給は手取り10万程度だった。

仕事中は、作業が遅いと怒鳴られ、気が利かないと説教され、ミスをすると殴られる。

とくに辛かったことは、先輩方が帰った後の包丁研ぎだった。

調理場にある包丁全てを研ぎ、奇麗に磨き上げていく作業で、その作業は深夜12時を過ぎることはざらにあった。


仕事が楽しくなったきっかけ

数年が経ち、この環境に耐えきれず職場を辞めていく人は多かった。

趣味や家族を優先したい人にはこの環境には無理がある。

僕も同じで、こんな環境は耐えれないと思い、辞めるタイミングをいつにしようか考えていた。「仕事なんてちっとも楽しくない」毎日このような思いで仕事をしていた。

しかし一人の先輩が僕に対しこんな言葉を口にした。

「包丁研ぐのだいぶ上手くなったな・・いつもありがとう。」

人間は毎日怒鳴られ続けると感覚がおかしくなるのか、先輩がそっけない態度で口にした言葉だったが、僕はそれが嬉しくてたまらなかった。

社会人になり始めて人に褒められ感謝された瞬間で、「働いてお金を貰う」ということはこういうことなのだろうか?と思う瞬間だった。

そしてこのことがきっかけで、もっと仕事をも頑張り、人に感謝されたり、褒められたりしたい思うようになり、調理技術の向上のために働くようになっていった。

深夜包丁を研ぎ終えた後、さらに一人調理場に残り刺身の引き方、野菜の剥き方、煮炊きの研究などをしていった。

仕事中もわからない事や知りたい事を先輩方に積極的に質問し、メモをとり学んでいった。


料理人としての意識が覚醒される

それから数年経ち26歳の時だった。後輩もでき、僕は調理を指導する立場になっていて職場からも信頼を勝ち取り、僕に文句を言う人はいなくなっていた。

そして料理の世界で誰にも負ける気はしないという自信も持っていた。

相変わらず長時間労働の低賃金だったが、そんな事はどうでもよかった。

お客様に「美味しかった」と言われ、職場の人と共に店を盛り上げ切磋琢磨していく仕事の時間が何より生きがいだった。

しかしそれと同時に、仕事に対して意識が低い人を否定するようになり、仕事を優先できない人を見下すようになっていった。

例えば

・趣味を優先して仕事に没頭できない人

・家庭の用事で休日をとる人

このような人が職場にいると目障りだと思うようになる。

「自分はああはなりたくない」と強く否定するのだ。


結婚をきっかけにさらに意識が高まる

29歳になり、当時付き合っていた妻と結婚し翌年長男が誕生する。

家族ができたことで、僕の意識はさらに高まり、職場でもっと上を目指そうと思うのである。

仕事を頑張ることが父親の役割だし、家族の幸せになると考えたからだ。

しかし結婚式の打ち合わせや、家庭の用事で休日をとるのが嫌だった。

なぜならこれまで結婚をして変わって行く人を何人も見てきたからで、僕は今までそれを否定してきたからだ。

仕事よりも家庭を優先させる考え方が相変わらず嫌でたまらなかった。

「仕事が何より大事」仕事を頑張る背中を見せつけることが、父親の役割だと考え、僕は結婚してもあえて働き方を見直することもせず、独身時代の働き方のまま仕事に没頭した。

これまで仕事を頑張ってきた分、その思いは強かった。


妻の不満が募る

そんな僕の考えに対して妻は不満を抱えるようになっていた。

仕事が終わり帰宅すると妻は文句こそ言わないが毎日不機嫌だった。

それを見た僕は、妻にこう言った。

「俺は家族のために一生懸命働いているのになんだその態度は!」

妻は納得いかない表情をしていた。

それに対してまた僕はさらにイラついて言った。

「俺は若い時から努力してこの地位まで昇りつめたんだ!俺のやってきたことは誰でもできることじゃない!なりたくてもなれない奴なんて山ほどいる!」

自分は「天才」なんだと言わんばかりの発言を妻にしていた。

それを聞いて妻が反論する。

「私だって一人で子育て大変なんだよ!」

だが僕は聞く耳を持たなかった。

「自分は間違えていない!」

「父親として仕事を頑張ることは当たり前のことだ!」

「自分がこれまでした辛い経験に比べれば、子育てなんて簡単なことなんだ!」

毎晩些細なことから夫婦喧嘩に発展し、僕ら夫婦の声で息子が泣いている。


自分は正しい妻の考え方が間違っている

夫婦喧嘩で息子が泣いているのを見ると心が痛かった。

どうにかしてこの状況を変えなければならない。

そんな中ふと頭によぎる。

「自分は本当に家族の為に働いているのだろうか?」

「仕事を頑張れば頑張るほど家庭は崩壊していく・・・」

「転職するべきなのか?」

いや違う。

結婚したからといって、仕事を優先できないカッコ悪い父親にはなりたくない。

これまで積み上げてきたものが全て台無しになる。

僕は首を振り、頭からから強引にこの言葉を消した。

そして自分は間違っていないと自分に言い聞かせる。

「もちろん家族のために働いている」

「夫婦喧嘩の原因は妻にある」

「妻の考え方が変わらなければこの状況は変わらない」

「自分は頑張っている」

「自分は間違えていない」

自分を肯定し、妻を否定した。

そしてさらに仕事に没頭した。

息子の必死の叫び

この状況が1年半程続いたある日の休日のこと。

休日なんて滅多にないし、普段の疲れをいやそうと昼過ぎまで寝ていた。

すると妻の掃除機の音がうるさくて眠れなかった。

そこからまた夫婦喧嘩が始まる。

「うるさくて眠れない!」

「なんでいつも俺の邪魔をするんだ!」

妻も反論するが僕はいつものように聞く耳を持たず、大喧嘩へと発展していく。

しかしいつもとは違う事があった。

それは息子の泣き声がしないことだった。

いつもは泣いている息子が、布団の上に寝転がったまま僕の方をじっと見ていた。

僕が息子の顔を見ると

「俺は将来お前みたいなカッコ悪い父親には絶対ならない!」

そのように心の中で叫んでいるように思えた。

息子の小さな手が、僕の心臓を”わし掴み”にし、今にも握りつぶされそうな感覚がした。

大好きなお母さんを守ろうと必死に抵抗しようとしているようにも思えた。

僕は背筋が凍り、この状況に耐えることができなくなり外へ出た。

外へ出てとりあえず車を走らせた。

車を走らせながらまたあの言葉が頭によぎる。

「自分は本当に家族の為に働いているのだろうか?」

「家族のために働いている・・・?」


こんな言葉は上辺だけで、家族ができ父親になったのにもかかわらず、職場やお客様からの信頼を失うのが怖くて逃げていただけじゃないのか?

そしてそれを全て妻と息子には見透かされているような気がした。

一生に一度の結婚式、大切な打ち合わせに参加せずになんで仕事を優先した・・・?

妻は子供を産んだばかりで不安でいっぱいだったはず・・・

自分が仕事に行っている間、悔しくて心細くて泣いていたに違いない・・・

そんな妻の姿を息子も見ていたはず・・・

なぜそれが分からなかったんだろう

なぜ話を聞いてあげなかったんだろう

なぜ率先して育児に参加しなかったんだろう

自問自答を繰り返す。

そんなに職場に認められたいか?

そんなに同僚に凄い人だと思われたいか?

そんなにお客さんにチヤホヤされたいか?

天才になる為に仕事をしているのか?

これまで積み上げたものを失うのが怖かっただけじゃないのか?

情けない・・弱い・・カッコ悪い・・

結婚してこれまで自分がとってきた家族に対しての向き合い方を振り返ると、なんだか情けなくなり、車の中で涙があふれた・・・

家族を優先した働き方を決意する

たった今から変わろうと思った。

転職をし、これからは家族を幸せにするための働き方をしようと決意した。

家に戻り自分の弱さを全て家族に話し、妻と子供に頭を下げた。

ごめん、本当にごめん・・・

当時30歳のおっさんがこれまで積み上げてきたもの全てを捨て一人の凡人となる。

これまで積み上げてきた職場の人との信頼関係など、全て捨てるのは正直不安だったし、この先「捨てたこと」を後悔するかもしれないが、後悔しないためにはこれから先、また全力で積み上げるしか方法はない。

自分が働ける場所はいくらでもあるが、自分が守るべき家族は一つしかない!

凡人の底力みせてやる!

そんな思いだった。

そしてこれが、30歳凡人おっさんが現在40歳になるまでの10年間経験する副業物語の幕開けとなるのであった。

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第2話 
副業開始と新たな目標

何よりも行動が大事

人生を変えたければ何よりも行動が大切だ。

行動する前にあれこれ考えていたのでは、その場で足踏みしている状態で、現状は何一つ変わらない。

僕はこれまでの働き方を見直し、転職を決意したのだが、この頃はまだ副業をしようなんて思っておらず、これからいったいどうしようと考えるばかりだった。

・これまでの調理師経験を生かした仕事

・給料は最低手取り20万円欲しい

・週休二日であること

・労働時間は8時間・残業なしが良い

・人間関係が良い職場

などなど、自分の欲望を上げるとキリがなく、ハローワークに何度も通うが、僕の希望を満たす会社はなかった。

「やっぱり30歳過ぎて転職は厳しいよな・・・」

「転職するのやめようかな・・・」

負の感情が押し寄せてくる。

しかしこのような考え方では家族を幸せにはできないと、自分に鞭を打つ。

そこで考えたのが、家族が寝ている時間、21時~6時の間に副業をすれば、家族との時間も確保しつつ仕事もできると考えた。

おそらくこの先、色んな不具合が出てくるだろうが、現時点で自分の頭に閃いたことをとりあえずやってみることが大切だと感じた。

「良いか」「悪いか」はとりあえず自分で行動してから判断する。

このように自身の考え方を改めていった。

そしてここから本格的に副業を始めていくのである。


会社(本業)に求めること

他人に求めることは最低限にし、不足分は自分で補うことが大切だ。

なぜなら他人に何かを求めすぎると、求めるものが返ってこなかった場合、それは不満に変わり、より良い人生を送ることができないからだ。

この考え方は会社に対しても同じことが言える。

自身の幸せの為に、勤め先の会社に対し色んなことを求めすぎるのは間違えている。

例えば、労働時間、休日、給料、ボーナス、人間関係などなど・・・

求めれば求めるほど、不可能になった時のダメージは大きく、また可能になった場合でも「他の不満を探す」という悪い習慣が芽生えてくるのだ。

僕が転職する際に会社に望んだものは、「労働時間」と「休日」のみで、労働時間(拘束時間)が8時間であること、休日が最低週休2日であることだ。

この二つを求めた理由は、僕がいくら頑張ったところで、会社で決められいる労働時間や休日を変えたいと悩んでも、解決しようのない問題でだからだ。

逆にいうと、この条件を満たしていれば後は何でもよかった。

その他の問題は、頑張れば解決していける問題である。

・給料やボーナスは副業をして補えばよい。

・人間関係は自身の考え方次第でどうにでもなる。

・職種もやりがいさえ見つければどんな仕事だって楽しいはず。

そう考えると再就職先の仕事はすぐに見つかった。

選んだ職場は、介護施設の給食センターだった。

【本業】給食センターの勤務形態
○早番6時~3時・遅番10時~19時
○週休2日制・8時間労働
○給料月収手取り14万円

前職より給料は6万円下がったのだが、不足分の給料を副業で補っていく。

そしてこの生活を実行しながら、他に給料が高い会社があればそちらに転職しようと自身の考え方を少しずつ改めていった。


副業は正しいこと

会社では、その会社内で決められたルールがある。

例えば遅刻をしてはいけないとか、無断欠勤をしてはいけないとか、そのようなことを繰り返すと上司に呼び出されお叱りを頂いたり、減給されたり、最悪クビになる可能性だってある。

それとは違い、会社内で暗黙のルールというものがある。

今から10年前は副業がそれにあたるものだった。

今でこそスマホが普及し、副業する人も珍しくはなくなったが、当時は「副業」=「悪いこと」こんなイメージだった。

そもそも周りに副業をする人がいなかったため、自分が勤める会社は副業して良いのかすらもわからない状態。

そんな暗黙のルールに反し、僕は転職して1週間を経過する頃、「副業をします」と上司に報告した。

報告した理由は、確定申告、年末調整など後々面倒なことになるからと、副業は「悪いこと」という認識のもとやりたくなかったからだ。

会社を当てにせず、自力で明るい未来を切り開くために副業をすることの何が悪いことなのだろうか。

当時勤めていた会社の上司を説得し、会社の公認のもと副業を始めることとなった。

もちろん副業をするからには本業の仕事もしっかり頑張らなければならない。

「副業」=「正しいこと」だと証明しなければならないのだ。


副業(新聞配達)を始める

副業を始めるうえで大切なことは、

・隙間時間を作らないこと。

・家庭持ちであれば、家族の時間を削らないこと

・毎月稼がなければいけない金額を決めておくこと

この三つを意識することにより、無駄な時間を使わなくなり、継続しやすい環境を自分で作っていく事ができる。

この三つを意識したうえで僕が選んだ副業は新聞配達だった。

【副業】新聞配達の勤務形態
○朝刊配達3時~5時・夕刊配達15時~16時
○休日:朝刊月1回・夕刊週1回
○給料6万程度

本業の勤務形態に合わせた副業。

多少時間は窮屈だったのだが、本業と副業の間に隙間時間は移動時間のみにする。

副業をする時間は、家族が寝ている時間。

副業で稼ぐ金額は前職より減った給料分の約6万円。

全ての条件を満たし、新しい生活環境を整えた上で、これから色んな事を学んでいくことになる。


無駄な時間を使わない

「本業」「副業」「家庭」この3つを上手く両立するためには、無駄な時間を使わないことが大切である。

そして無駄な時間を使わないためには、「頭の中」を整理することが最も重要だ。

なぜなら人間は思考によって行動が左右されるから。

この頃の僕はとにかくきっちりスケジュールが詰まっており、無駄な時間というものがなかった。

しかし「頭の中」は違っていた。

例えば慣れない仕事でミスをする時がある。

そんな時「あいつは副業をしているからミスをする」「お金のことしか頭にない」そんなことを陰で言われる時が多々あった。

僕自身、本業に支障が出だすと副業をやめなければいけなくなる。

副業を始めた当初はこんな周りの人の言葉に対し、ネガティブな感情を抱いていたのだが、この時間が無駄である。

自分の成長以外のことを考えることが無駄で、失敗に対し落ち込んだところで、全くの無意味な時間となる。

それにやってしまったミスは仕方がなく、取り消すことは不可能だ。

だとしたらミスした直後には気持ちを切り替え「今度はミスしないようにしよう」と考えれば周りの人になにを言われようと関係のない事。

「本業」「副業」「家庭」をより良いものにしたい。

こう思うのであれば、「ポジティブなことを考えたい」ではなく、「ポジティブなことを考えなければならない」のだ。

このころから自分の中にある「無駄な考え」を徹底的に省いていった。


出来る方法を考える

仕事の失敗をしてネガティブな感情を抱く必要はないのだが、失敗をしてそのままにしてはいけない。

出来るための方法を考え、行動することが大切で、それによって自分の中で実績が付き自信を持つことができる。

つまり行動して得られる困難は「チャンス」としてとらえ、自分にとって必要なものであれば必ずものにしなければならない。

副業で新聞配達を始めた当初は思うように仕事ができなかった。

不配や遅配を重ね、アルバイト先の社員さんに迷惑をかけていた。

アルバイト先だけではなく、もちろん本業にも迷惑をかける。

アルバイト先の朝刊配りでミスをすれば、その分時間が押し、本業の始業時に間に合わないのだ。

そして本業の時間がおしてくると、こんどは夕刊配りに間に合わなくなる。

そんな時「自分はポジティブだから大丈夫」というわけにはいかない。

最低限他人に迷惑をかけてはいけないからだ。

そして、「やっぱり時間的に無理があるかなぁ」とあきらめるのではなく、出来るための方法を考え行動しなければならない。

僕の場合、新聞を配達をするとき不配や遅配を無くすために、仕事以外の時間を使い、ひたすら練習を繰り返した。

朝刊の配達中、地図記号を見ながら配達すると時間がかかってしまい、本業開始時間の6時に間に合わないので、本業と副業、すべての業務を終えてからもう一度配達先に行き、配達先の家の目印や外観の特徴を見て全てを暗記した。

バイクに乗り降りしながら配達していたのでは時間がかかってしまうので、バイクを運転しながら投函できるように、左手でハンドルを握り、右手で新聞を三つ折りにできるように家に帰ってひたすら練習した。

本業の勤務が遅番(10時~19時)だった場合、夕刊が配れなくなるので本業の休憩時間
(14時~15時)に新聞配達先に向かい新聞を取りに行き100件配ってからそのままバイクで本業に戻る。

時間がもったいないからこの頃から昼食はとらないようにした。

これを繰り返していくと、徐々に本業と副業の両立が出来るようになっていき、「自分はやればできる」という自信がついてきた。


仕事は本来楽しむべきもの

毎日苦痛に感じる仕事、この考え方では人生損をしてしまう。

なぜなら仕事は本来楽しむべきものだから。

過去の時間は二度と帰ってこなく、苦痛だと思う仕事を楽しんでやらなければ、人生損をしてしまう。

本業も副業も経験を積むにつれ、次第に慣れてきだしたのだが、慣れたとしても苦痛に感じるときはたくさんある。

・雨の日はカッパを着ていてもずぶぬれになる。

・夏の夕刊配りは暑くてしかたがない。

・冬の朝刊配りは寒すぎる。

・毎日眠い

苦痛との戦いで、毎日我慢をして乗り越えてきた。

そんな中ある人との出会いで、考え方が一変する。

その人は同じアルバイト先の横山さんという70歳前後の方だった。はじめて横山さんを見た時はこのように思った。

「定年を過ぎてもお金がなくて働いているんだろうなぁ」

「生きていくって大変だよなぁ・・辛いだろうな・・」

しかし横山さんは、毎日誰よりも毎日楽しそうに働いていた。

雨の日は新しいカッパを買ったなどと言って他の人に自慢していたり、寒い冬は他の人の分までカイロや缶コーヒーを自腹で買い配ったりしていた。

「どっちが早く配れるか競争をしよう!」とか「今度釣りにでも行こうか?」と僕に笑顔で話しかけてくれた。

そんな横山さんは、仕事の苦痛に耐えて働いている僕とは対照的で、日常すべての時間を楽しんで生きているように思えた。

「定年しても働かなければならない苦痛」ではなく「定年をしても働ける喜び」をかみしめている横山さんに胸を打たれた。

「仕事は楽しむもの!」そんなことを学ばせてくれる素敵な出会いで、その後始まる、個人で稼いでいくための基盤ができ始める瞬間だったのだ。


新たな目標

そんな生活が2年程経ち、自分の成長が垣間見れる時があった。

それは家族に笑顔が増えてきた時、妻との会話も増え明るい家庭になってきた。

何より息子の成長をこの目で見れることが嬉しく、やってきて良かったと思える瞬間である。

そして転機が訪れる。次男の誕生だった。

当時の我が家は狭く、4人で生活していくのは厳しかったため、妻と話し合いマイホームを購入しようと決めた。

当時貯金は0円、頭金なしで35年ローンで購入するのだが、僕の稼ぎだけではローン審査が通らないとのこと、そこで初めて妻の年収を知るのだが、僕の年収より妻の年収が多かった。

自分なりにこれまで頑張ってきたつもりなのだが、現実を知ることによりかなりのショックを受けた。

妻はおそらく僕に気を使いこのことを今まで黙っていたのだと思う。

今の時代は、共働きが当たり前で、奥さんの方が年収が上というのは不自然な事ではないのかもしれないが、この現状を当たり前と思った時点で父親としてどうなんだろうと考えた。

結果夫婦の年収を合わせることによって無事ローン審査は通ったのだが、僕はこの屈辱を胸にある事を決意する。

「5年間で500万貯金に挑戦しよう!」

という目標だった。

この目標を達成するために凡人なりの戦略を立てていき、結果3年8か月で600万円の貯金に成功したのである。

その戦略と実際に行った行動は第3話から・・・・


第2話までご覧いただきありがとうございました。

申し訳ありませんがここからは有料記事2980円になっております。

この物語は全て筆者である私が、実際に行ってきた10年間の副業経験を執筆しております。

父親として家族を幸せに導くため、

「どんな考え方で」「どんな方法で」

10年間の副業で培った経験談を余すことなく全て記しています。

現状に不満がある方

将来に不安がある方

この【10年間の副業物語】をを読むことにより、あなたの原動力を生み出し、明るい未来を切り開くきっかけになるはずです。

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では、ここまで読んで頂きありがとうございました。

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