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子どものおもちゃ順番待ちに大人が介入する必要ってある?(2024/9/3)

先日、子どもたちを連れて支援センターに遊びに行った時のこと。

ずっと足が遠ざかっていたのですが、「おもちゃがいっぱいあるところ(=支援センター)行きたい!」という子どもたちの熱いリクエストを受け行くことに。

その日は、久しぶりに晴れ間が見える良いお天気の日でした。今日はお外に出られそう!と思ったママは多かったようで、混雑していた支援センター。

我が家の子どもたちはパウパトロールが大好きで、そのおもちゃを見つけ、まずは上の子が遊んでいました。下の子はその間、私とおままごと遊び。

しばらくして、上の子が遊びつくして満足したようでパウパトロールのおもちゃから離れておままごとコーナーにやってきました。「やっと順番がきた!!」と嬉しそうな顔でパウパトロールのおもちゃを手にした下の子。

1人でじっくり遊びたかったんだなぁ、順番が待てるようになったんだなぁと下の子の成長を感じていると、支援センターの職員さんがやってきました。

「そのおもちゃ、遊びたがっている子がいるから譲ってくれないかな?」

そういわれ、戸惑う下の子。職員さんは、私の方もちらっと見ていたので、もしかしたら譲るようにママの方からも働きかけて欲しいと期待されたのかもしれません。なんだかモヤモヤしてきた私。

確かに、見方によっては、パウパトロールのおもちゃを上の子⇒下の子と使おうとしていたので我が家で独占しているように感じられたのかもしれません。下の子も順番待ちしているなんて、外からは見えないところだったのかも。


もし、大人がおもちゃの使う順番に介入するのではなくて、使いたがっている子ども自身がやってきて「貸して」「一緒に遊ぼう」と言ってきたり、はたまた発達段階的に言えなくて勝手に持っていったとして、その場合は全くモヤモヤはなかったと思うのです。

子どもってそんな感じだよね、遊びたかったんだね、そう思ったと思います。もしそれで下の子が泣いたとしても、「まだ遊びたかったんだね。でも、お友だちも同じように遊びたいと思ったんだよ。きっと、お友だちは『貸して』の練習中なんだよ。」そんな風に声掛けして、これにて終了!そんな風に対応したと思います。


しばらくこの出来事について考えていたのですが、私のモヤモヤを言語化するとこんなことだったと思います。

・子どもの世界のことは子どもで完結させたい(もちろん、手が出そうになったら介入するけれど)
・おもちゃの順番待ちで、悔しくて泣くことがあるかもしれないけど、それもまた子どもの学びだと思っている。
・「貸して」「まだだめよ」or「いいよ」、子どもたちはこのやり取りの練習中なのだと思う。練習機会を奪いたくない。
・そして私は、子どものおもちゃ順番待ちへの介入を期待されることが苦手。

結局、待ちきれなくなった子がパウパトロールのおもちゃを取りに来て、下の子は驚いた様子だったけど、すっとおもちゃから離れて違う遊びに移っていきました。これで良い、そう思います。

もちろん、子どもの年齢によってもまた対応方法や大人の介入が変わってくるのかもしれませんが、今回は3歳くらいの子ども同士。

職員さんにもお考えがあっての介入だったのかと思いますが、きっと子供同士で対処できたんじゃないかな、と私は感じたのでした。


子ども同士の遊びの場面に大人が介入しすぎること、それを期待されることが苦手で、支援センターから遠ざかっていたんだっけと思い出した出来事でもありました。

皆さんはどう思われますか?

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