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「私は真実が知りたい」を読んでみて


■本書の一部より


 前半は赤木雅子さんの綴る、赤木俊夫さんと雅子さんの馴れ初めから、結婚、そして二十余年に亘る幸せな生活の日々。
 日曜日に神戸の三宮に出かけていたら上司に電話で呼び出され、公文書改ざんを強要され、俊夫さんが壊れていく様は、悔しくもあり悲しくもあり、自らの体調の悪かった頃を思い出し、頷くばかりでした。

 中盤辺りから相澤冬樹さんにバトンタッチ、本を出すに至るまでの軌跡や、その過程での関係者への取材が克明に記されている。

 赤木雅子さんが相澤冬樹さんと良好な関係を築くまでには、かなりの歳月を費やしていることがわかる。

結果として関係者の家族を巻き込む取材に、雅子さんは

「じゃ取材なんかしなきゃいい」(P.96)

などと仰る。

あれ!?どちらの方向を向いているのと戸惑うところも多々ありましたが、後の方で判るのですが、俊夫さんが亡くなって相当参ってらっしゃったのだなぁといたたまれない気持ちになりました。(関係者本人は、渦中の人ですから取材されるのは当然だと思いますが、家族が巻き込まれるというのは如何なものかという点は同感です)

また、取材過程で相澤さんが手にした、赤木俊夫さんが職場の局内報に寄せた文章の最後の方で述べられる

坂本龍一探求序説(近畿財務時報平成五年三月)
「逃避することのできない社会現象の不合理性や構造の矛盾に対して」(P.99)

まるで将来起こる不幸な未来を暗示している様で、胸が詰まる。

 妻雅子さんが語る赤木俊夫さんと雅子さん夫妻の幸せな日々、相澤さんの関係者の重要な証言など、事実を元にじわじわと確実に追求する取材の数々
に状況証拠は出揃ったという感じすらする。後は、政官の間で指示があったのかなかったのか、それとも政権の意を酌んだ高級官僚の暴走なのか。
 本の構成にも工夫が凝らしてあって、スラスラと読みやすいと思います。
(ただし、私のように登場人物を何度か読み返すような「365歩のマーチ」的な読み方をする方は、それなりに読むのに時間がかかります。)

■本書を読み解く上の副読本


 膨大な量の報告書なので、子細に読み取るのには時間がとてもかかりますが、決裁文書の決裁欄の印や決裁文書の内容を一緒に見ると本書の理解がさらに進むと思うので、引用先を例示しておきます。

財務省|決裁文書の改ざん等に関する調査報告書について
https://www.mof.go.jp/public_relations/statement/other/20180604chousahoukoku.html

財務省|決裁文書に関する調査について
https://www.mof.go.jp/public_relations/statement/other/search_kessaibunsho.htm

 財務省ホームページのロゴに「国の信用を守り、希望ある社会を次世代に引き継ぐ」とあるのを見て、どの口でそれを言うのだろうと呆れかえった。

■本書を読んでみて思うこと


 国家公務員法には、守秘義務違反(刑事罰もあり得る)があり、職務上で知り得た秘密を話すことはできない。また、上司の職務命令に従う義務というのもあるが、違法性が明確な命令には従わなくてもいいとされている。(公文書の改ざんはまさにそれに該当する)

 国家公務員は全国各地に異動することがあるので、見知らぬ土地へ行っても官舎が一緒などのこともあって、結束力が強いのだと思うが、自らに置きかえてみると我が社では家族ぐるみの付き合いをしている人は昨今、恐ろしいスピードで減ってきていると思う。

冠婚葬祭も身内だけで済ませるというのが主流で、ご多分に漏れず私もそうであった。でも、いまの勤めに就いた四半世紀前には、先輩の親族であっても葬儀の案内や受付などに借り出されることはよくあった。

そういった濃密な人間関係を背景とした「財務一家」的な職場環境が、赤木俊夫さんが違法な職務命令を断れなかった1つの要因なのだろうか。

 誰が何のために公文書改ざんを指示したのかも明らかにして欲しいと思うが、改ざんに強く抵抗していた赤木俊夫さんがどのようにして改ざんを受け入れたのかという点は明らかにして欲しい。(直属の上司I氏や赤木さんと共に泣きながら抵抗した職員なら経緯を知っているのではないか)

 公文書改ざんそのものについては、遺族の感情などお構いなし、組織防衛に躍起になる様は「財務一家」の結束力が招いた事件ではないのだろうか。

財務省の組織風土の改革が一番の再発防止になるような気がしてならない。

 赤木雅子さんの元に説明に来る財務官僚が、野党やマスコミが面白おかしく取り上げるから、やむなく公文書を改ざんするに至った様なことをその理由として述べている。確かに「野党合同ヒアリング」なんていう垂れ幕を会議室の壁に掲げて、これ見よがしに官僚に問い質すというのは政治ショー的で私は大嫌いだ。やってますよアピールをする必要があるのだろうか。しかし、法令等に沿った正しい執行が行われていない疑惑があるのならば問い質すことは当然行うべきだと思う。話が逸れてしまったが、いまのような政治主導になってしまったのは、そもそも選挙で選ばれてもいない官僚が国民の方を向かない姿勢が問題になり、橋本龍太郎元総理の頃から政治主導に舵を切ってきた様に記憶している。(大蔵省を解体、財務省と金融庁を発足)

 政治家とも対峙してきた官僚が、総理の顔色ばかり窺うというのも滑稽に感じてしまう。それ以前にもあったのだろうか、それともいまの総理の締付けが厳しいのだろうか。素朴な疑問が脳裏をよぎる。

 本当に財務省を辞めたら、正直に話せるのだろうか。私は違うように思ってしまう。相澤さんはNHKを辞めたら自由になったけれども、財務省の職員は、行政の執行官たる国家公務員。先程の守秘義務違反の罪に問われることもあれば、その行政を司る行政の長は、内閣総理大臣である。

地方公務員や団体職員、会社員の直接の指揮系統には、国家権力が介在しないと思う。けれど国家公務員は指揮系統の上位に国家権力がいる。
当たり前だけど、それが他の組織とは全く違う。

 民間人になっても籠池氏のようにペラペラと喋ることができるのだろうか。
 それは相澤さんが仰るとおり、国家権力の中枢にいる内閣総理大臣が交代することで話しやすくなるとは思う。

 内閣総理大臣が代替わりしても、関係者が正直にすべて話してくれるのか疑問が残る。主要な関係者が亡き後、事実が判るなんていうのは御免だ。

赤木雅子さんが望むように全容が解明されるよう強く願う。