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ぼんやり生きる


歩く速度
呼吸のリズム
食べるもの
安らぎの長さ
紡ぐ言葉
感情の高まりや静けさ


それらが自分にとってどのくらいどうなれば丁度良いのかを
最近の自分はなんとなくわかってきたような気がする

そしてそのある一瞬の心地よさの中に、懐かしさを含む何かがある
私はすでに心地よさの中にいる自分を最初からわかっていたのかもしれない

自分の中のコップと言えばいいのか
風船と言えばいいのか
私はそのコップの中の水や、風船に送り込む空気はなるべく8分目であってほしいと願う
いや、意外にもみんな平等に10分目まで入っていることになっているとしたら
私の中で認識していない2分があるのかもしれない
そうだとしたらこれから先もずっとその2分は知らないままであってほしい
新しく注がれるときによくわかんない2分が溢れても平気でいられる包容力が私には備わっていてほしい


つまり私はぼんやり生きていたいのである

ぼんやり生きてぼんやり死ぬ
そんな生き方ができないかなと日々血眼になりながら模索している
そんなの矛盾していてなんだそれ、と一瞬思うけど大人ってこういうことだよなとも思ったりする
そこへたどり着く時、いつも決まって私は子供になりたいと思う


ぼんやりしていた私の幼少期

その日、その時をぼんやり生きていたもんだから
明日のことも知らないし、知らなくてよかった
その積み重ねが私をつくるのに、と心の少女がぼやいたりする

ぼんやり生きることが自分の”丁度いい”なのかもしれないと思ったりした
今日この頃である

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