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くる、朝


よくあることだ、うまく眠れない時期。体はだるいし頭も重苦しくて、起きていたくなんかないのに、眠れない。

ぼんやり窓の端が青くなって、そのまま白んでいくのを見ているしかない。

こういう朝に、青く霞がかる日を思い出した。カーテンの隙間からきまって見えた風景が、ほんとうに懐かしい。

ボーボー鳴いてる鳥の声、起きだした祖父が水道を流す。そうしていると、時間とか日付の感覚がすごく遠くになって、いろんな覚えがまぜこぜになって不思議だった。学校のこと、家のこと、近所の田んぼ、昨日みた夢⋯、果てには携帯ゲーム機の起動音までぼんやり響いてきて、起きているのか寝ているのかも怪しくなる。

そういう時、私は謎に悲しくて、切ない事ばかり思い出した。
なんにも楽しくないことばかり。

たとえば犬の話。クウとかいう犬は、真っ黒で、毛がぜんぜんなくて、小さかった。
私も3歳だかそのくらいのことなのであいまいだけれど。

けど、公園のすべり台を短い足で一生懸命に登ってくる姿はよく覚えている。

クウは心臓が悪くて、あっさり死んでしまった。父親の意向で、クウは畑の、いちじくの木の下に埋めてあげたらしい。毎朝おこぼれでぺろぺろ舐めていた、ヨーグルトのふたと一緒に。

正直私は、そんな死んだ後のクウより、それより、その直前の、子犬なのに老犬のようなクウのことをよく覚えている。
かわいそうなクウ。

心もとなく足元に歩いてきて、喉を鳴らしてヨーグルトを舐めていた、切ないクウ。

もっとたとえば、近所のおばさん。なんでか、ハッチのおばさんと呼ばれていた。小さい子が大好きで、あんまりちょっかいをかけるから、みんな恥ずかしがって。
それでもおかえりと、お菓子と麦茶を差し出し続けるおばさん。

飲まれない麦茶。おばあちゃんになっていったおばさん。
こんなことばかり、悲しんで生きているわけでは無いのだ。普段から。
クウのことはこういう時にしか思い出さないし、おばさんも、今はお孫さんと一緒に暮らしているのに。

それなのにそういう時、本当に虫がよく、思い出す。
ごちゃ混ぜの意識の中で、なけなしの切なさを絞り出して、思い出に浸って、涙でまどろみながら。

どうせ起きたら、今日食べる物のことしか考えていない。きっと、平気な顔でヨーグルトも食べられる。

なにもそこまで悲しいことばかりではないだろ、と側からみれば笑えるほどボロボロ泣いて、ううう、ううう、とバカみたいに唸っていると、いつの間にか眠っているのだ。

こうやって繰り返していく。他人や記憶をすり減らしながら。私はこうやって進んでいく。悲しくもない思い出と絞り出した涙で、無理矢理にでも生活を続けていく。

眠れなくても朝が来るように。

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