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「帰らない日曜日」(エヴァ・ユッソン、2021)における木の揺れについて
「帰らない日曜日」は、恋愛映画というよりも恋愛が物書き(職業)の材料に収斂されていくという意味である種現代的な映画、フェミニズム的な映画と言えるかもしれない。
この映画は、恋愛が「目的」に終わらず、「手段」へ転じていく様を断片的に、かつ反復的に見せた映画である。
冒頭の馬の話は、ポール・シェリンガムの子供の頃の話である。その話の時にスクリーンに映る光景は、ポールの"回想"に他ならない。つまり事実
「スワロウ」(カーロ・ミラベラ=デイヴィス、2019)
この映画の主人公は”自由”である、あるいは”自由”であろうとしている。
「異物を飲み込む」という行為自体は、当然、医学的にも生物学的にも許されたものではないという指摘や、抑圧されている現状への抵抗という、彼女自身が置かれた境遇を寓意的に表したものなのだといった指摘を承知の上で、「異食症」=既成概念からの解放=自由に繋がるものとしての、「映画的自由」としての異食症が描かれていたのだということを推し
「VIDEOPHOBIA」(宮崎大祐、2020)
主人公は、リベンジポルノを皮切りに街中の監視カメラやスマホのカメラに恐怖するようになる。しかしそれは一体、何に恐怖しているのか。
仮にそれが、「自分の正体が晒されるから」という答えであった場合における「自分の正体」とは何か。
主人公は「自分の正体」を気にしているだろうか。おそらく気にしていないだろう。むしろ、「自分の正体」などわかっていないだろう。
演劇のワークショップのシーンで、講師は「それ
「聖なる犯罪者」(ヤン・コマサ、2019)
今年の映画初め。
新宿武蔵野館。何年ぶりだろうか。
密回避のためか、待合所の座席がたくさんあって(ディスタンス確保のため一席ずつの空き)、宣伝ポップや宣伝記事や予告の映像がガヤガヤしていて、記憶していた武蔵野館よりも”昔ながらの映画館”感が増していた。
意図的にそうしているのか。
「聖なる犯罪者」。
司祭版西部劇。
主人公とヒロインが初めて会話するシーンでのやりとり。
「どこから来たの?」
「