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日々の追想 

「できることがまだ少しある」

 離れて一人暮らしをしている長女が、体調を崩したので少し助けに来てほしいという。それまでのラインのやりとりで、心配に思うところもあったので、四月の半ば過ぎに万障繰り合わせて東京へ行った。
 前回東京に行ったのは、やはり長女のところへ行った一年前のことで、その時二女にすすめられてスマートEXに登録したのだが、会員IDもパスワードもすっかり忘れていて、新幹線の切符を買うところからつまずいてしまった。駅に着いてからあたふたとスマートフォンの操作をし、「会員ID、パスワードをお忘れの方」のための手続きをし、三十分近くもかかってようやく切符を買い、新幹線に乗ることができた。
 車窓の風景を眺めながら、東京で暮らして四年目になる長女のことを思う。地元の大学を卒業して地元で就職したが、転勤のため東京で一人暮らしを始めたのだった。住んでいるのは郊外だが、休日には首都圏の友人と会ったり、都心に遊びに出かけたりしていて、都会の生活を満喫しているものと思っていたが、それでもそれなりの悩みや心配事はあるのだろう。少し疲れが出てきた頃なのかもしれないと思った。
 長女の住まいは八王子なので、新横浜駅で横浜線に乗り換える。座席は埋まっていて、私はドア近くの手すりにつかまって立っていた。
 ちょうど視線の先に、ドアの横の、企業の広告を掲示するパネルがあって、私はその広告に目をとめた。花王株式会社の、メリットの広告だった。
 「最終回は気づかないうちに終わっていく」
 子どもが、今日から自分でシャンプーすると言い出したという短いエッセイと愛らしいイラスト。
 子どもが成長していく過程で、それと意識しないまま必要なくなるいろいろのこと。卒園とか卒業というおおきな節目ではなく、後になって、昨日のあれが、今朝のそれが最後だったのだと気づくささやかなこと。
 三人の子どもたちが皆社会人になって、子育ての日々が遠くなっていく私にも、それはしみじみと心によみがえる、安堵と寂しさの入り混じった、感慨深い思い出である。
 その広告を見ながら、何度もエッセイを読み返しながら、私は少し涙ぐんでいたかもしれない。
 長女は三十一歳、東京で働いて自分で家賃を払い一人で家事を担い、自立して生活している。それでも、不調のときに私を呼んでくれたことをうれしく思う。
 エッセイは最後にこう結ばれている。
 「できることがまだ少しある」
 大人になった子どものためにしてやれることは多くない。そして、親はどんどん年をとって、してやりたいと思ってもできないことが増えていくばかりである。離れて暮らしていれば、なおさらのこと。
 今、長女に頼まれて東京へ行くことが私の、そのほんの少しの「できること」なのだと思った。
 長女に会ったら、他愛ない話しをしながら家事など手伝って過ごそう。その時間は、子育ての先にある僥倖ともいえる時間なのに違いない。
 その時間を大切に、大切に過ごしたいと思った。
 近くの座席が空いても私は立ったまま、その広告をみていた。
 電車が八王子に着くまでの間、これからも私の「できること」を探し、でも決して過保護にならないように、長女に、子どもたちに寄り添っていきたいと思った。


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