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音楽とろうそく

大與のろうそくにぴったりの音楽を作ってもらいました。

トウヤマタケオさんが作曲されて、いろんな大人の事情があって、音源だけでは売れないのだけど、ろうそくと合わせて販売しようと思います。

多分来週にはリリースできると思います。

『灯す』と名付けられたこの楽曲は、
一概に非効率だと切り捨てられるような
自然と人・人と人とのつながりやあたたかさ、
お互いをおもいやる気持ちなど、
それが人間にとって最も大切なものだと伝えてくれるような
そんな曲になりました。

音楽とろうそくは人類が発明したものの中で最も尊いものだ。

なんか引用っぽくすると、誰かの言葉のようですが、
大西の持論です笑

なんでこんなことを思っているのか、を今日はつらつらと。

こういうタイミングで、こんなメールが弊社の問い合わせフォームに届きました。

こんにちは。問い合わせではないのですが。先日、お米のロウソクを購入しました。お米のロウソクをはじめて知りました。うまくお伝えできないのですが、灯す前からほっと癒される色合い、灯すととてもやわらかく落ち着くあかりが何とも言えない空気に包まれた感じでした。今日は今年の春に病で旅立った息子(享年13歳)の百箇日です。故人のために灯すだけでなく、私自身灯りのお陰でいやしてもらえます。ゆっくり長く灯してあげたいと思います。また購入させて頂きます。

このメールに対するお返事を書いていて、

お気持ちお察しします。とキーボードを打っている自分に「お前ほんまにわかるんか」となにかに頬を打たれ、ハッとなって消しました。

僕のしょうもないステレオタイプの言葉なんかで慰めになるわけないのです。それでやり過ごそうとしていたのを咎められたのだと思いました。

ろうそくにはいろいろな役割があって、その中でも故人に供えられるろうそくというのは、私たちのろうそくのど真ん中の役割です。

悲しみや苦しみを慰め、癒すのは、きっと人間だけの力ではできないんじゃないだろうか、そんなことを考えはじめています。

語弊があるかもしれないのですが、もっとこうぼんやりとした、ろうそくの灯りの輪郭をなぞれないように、どこにも掴みどころがないような、「どうとでもとれること」実はそれが本質なんじゃないかと。

音楽も同じ。楽譜や歌詞で表せない、耳に届く音色、歌声。

思いつく限り、こんな性格のものは音楽とろうそく以外思いつかない。

本当に困っているときに、苦しんでいるときに、「それはこうすればいいんじゃないか」「そういう風に考えてるからだめなんだ」「もっと強くならないとだめだ」「もっとがんばらないと」という言葉より、黙って横にいてくれることに救われるように。

僕たちはろうそくを表現するのに、たくさんの言葉を駆使し、いいように見えるように写真を撮り、ブランディングをして信用をしていただいて、ろうそくを買ってもらっているのだけど、本当に大事なことは言葉にできないのだろうな、という言葉を今日残しておきます。

そして、慰め、癒してくれているのは、ろうそくではないということも大切なことだと僕たちは知るべきです。慰め、癒してくれた起因は「私たちのろうそくを選んでいただいたあなた」にあるのだと。

私たちのろうそくを選んでいただいたことはつまり、遺族の方の故人への思いであり、亡くしてもなおある愛情です。慰め、癒されたのは、故人がそのお返しをくれているという因果関係が僕は一番腹に落ちています。

灯した人が、耳にした人が「どうとでもとれること」で救われるなんて、素敵じゃないですか。

また書きます。

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