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自分を信じることを焦らなくていい

美しいものを美しいと感じられる、あるいはこれは美しいです、と言い切れることは勇気のいることのような気がします。

「おいしい」と同じです。
おいしいなー、と思っても、食べログが2点台とかだったら、あれ、僕の味覚おかしいのかしら?と自分を疑い始め、これをおいしいと言う僕を周りの人たちは…なんてことを思い始めると、「あの店おいしいよ」と気軽に言えない。そういう意味での勇気です。

「周りの評価」が本来感じるべきものを感じられなくさせている、というのは本当に由々しき問題だと思いますが、自分を信じることって、「周りのことなんて気にしなくていいよ」という言葉で救われるほど、単純ではないのもわかります。

自分を信じられるようになるのに必要なのは、経験だと思います。
そして、経験を重ねて、感じる力は鍛え上げられていくのだと思います。
つまり、自分を信じるためには、自分が信じなければならない。
禅問答みたいですが、そういうことだと思います。
だから、自分を信じることに焦らなくてもいい時間はあるのです。

僕が自信を持てるようになったきっかけは、2011年のグッドデザイン賞で私たちの「お米のろうそく」という商品がグッドデザイン賞とグッドデザイン・中小企業庁長官賞を受賞したことでした。この年に掲げられたテーマは、「適正」。2011年は震災や原子力発電所の問題など、それまでの評価軸、当たり前を再度考え直すものとなりました。

審査で共通するマインドとして、はじめに「適正」と いう言葉を提示しました。「新たなモノは生活をうるおす」「産業を拡大するために大市場に参入する」――これまで「正しい」とされていたことが、果たして今後もそう であるか。それを今、私たちが慎重に考え直す必要があることを念頭に置きましょうと審査委員の皆さんにお伝えしました。
~中略~
簡単に自分たちの行いを正しいと考えるのではなく、慎重になるべき時代になっています。「グッドデザイン賞」も、物事のバランスをうまく取るためのきっかけになればと、「適正」を掲げたのです。
 「グッドデザイン賞」は、経済をけん引する産業に貢献したデザインの顕彰制度として歩みを進めてきました。そのため経済・産業への貢献が、受賞の重要な要因となって いました。結果的に、革新的な事物に贈られる賞だと見られているように感じます。 確かに「刺激」「斬新」は、デザインの大きな要素ですが、それが今後も「正しい」 かはわかりません。また、「色や形、ビジュアルに訴えかけるものがなければ、デザインにはならない」と考えてしまうと、そもそも支援する対象が偏ってしまいます。

宣伝会議刊「月刊ブレーン」2012年1月号 2011年度グッドデザイン賞審査委員長・深澤直人氏『移りゆく社会を考えるきっかけに』より一部抜粋

お米のろうそくは、適正なものだね。と評価を受けました。

このことは僕にとって、大きな自信になりました。
デザインのことや美しさのことや、誠実なものや未来に繋がるものごと。
僕の根っこは、ここで力強くなったと思います。

お米のろうそくに使われる「米ぬか蝋」は、今でもよく勘違いされるのですが、僕が発見したものではありません。昭和50年代にはすでにこの蝋は存在していて、大與では、結構早い段階から和ろうそくの原材料としていました。だから、同業者からはいろいろ言われました。前からあったやつじゃん。何新しそうに出してんの。

そういういじわるなことにも、反論できるようになっていました。
逆に問うけど、この価値をちゃんと意味づけして、未来に繋ぐべきものだと信じて、未来に届くようなプロダクトにした人いますか、と。

そうして根が張り、幹が育ってくると、そのものに触れた瞬間、泣きそうになったりすることがあります。「美しさ」を感じられるようになったなーと思えたエピソードなのですが、そのお話はまた今度(とか言いながら、書くかもしれないし、書かないかもしれない)。

また書きます。

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