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地方へ ブザンソン

 フランシュ・コンテ地方の、詩的な美しさに包まれた町、ブザンソン。スイスに近く、TGVでパリから2時間半。リヨンからは2時間弱。一帯は丘陵と牧草地帯がなだらかに拡がり、渓谷と清流走る天然のアウトドア天国でありジオパークである。
 ジュラ山脈から流れるドゥー川の蛇行するところに町は形成され、背後に丘陵が控える。つまり三方を川が囲み、残る一方を丘が遮る天然の要塞となっている。元々は防衛上の要請からできた町は、美しい景観の中に清らかに置かれている。
 そんな水と緑に恵まれたブザンソンは、文化の薫り高い町でもある。「レ・ミゼラブル」などで知られるフランスを代表する作家ヴィクトル・ユゴーを生んだのはこの町であり、「オルナンの埋葬」で知られる画家のクールベは生まれ育ったこの地方の自然をよく描いた。秋になるとこの町で二週間に亘って催される音楽祭は音楽家の登竜門として声価は高く、小澤征爾や佐渡裕はこの地から世界へ羽ばたいて行った。
 TGV駅は街から離れているので乗り換えて街の駅に。大理石風の四角い駅舎は、小ぶりながらも白く輝いている。一切の装飾のない白亜の直方体に、開口部の入口が等間隔に五つ並ぶシンプルな駅舎からは、いかにもどこか異国を旅している実感があった。
 街へのアプローチとなる公園には、花壇が整然と続く。この整然としたアプローチは、ブザンソンという街を予感させる。5分くらい歩くと、ドゥー川の袂に出る。その先が旧市街である。
 私がブザンソンを訪れた16年6月は南仏から直でやって来たので、さすがに雰囲気の違いを感じた。街並みだけでなく、南仏では開放的なムードの街行く人からも、それは感じられた。スイス側から入る方が違いは少ないと思われる。清涼なスイスの延長線上に、同様に自然豊かな、のどかで素朴な地方があり、この清洌な街はある。
 バタン橋からドゥー川を渡って旧市街に入ると、広場がある。トラムが間近を通り過ぎて行く。カラフルな車体ながら色合いは落ち着いている。それぞれに地方を代表する偉人の肖像が描かれている。その色も形も、肖像のデザインも、緩やかに通り過ぎて行くさまも、すべてがブザンソンを表していた。
 この界隈にホテルがあったので、私は夜もバタン橋の袂に出たのだが、そこからの景色の美しさは忘れられない。対岸では等間隔に並ぶ丸い街灯が街を浮かび上がらせ、川面をそれら灯りが幾筋も照らしていた。薄明かりの空の下の、街灯の映す川面と対岸の街並みの情景は、私を異国の地にいるという、恍惚とした思いにさせていた。
 バタン橋から伸びる通りと、ホテル前の広場から伸びる通りの、二つの通りがメインストリートとなっている。どちらも並行して、街の背後にある丘の方へ向かっている。三方を川が囲んでいるので、交わる通りは少し歩けば、すべてドゥー川の袂に出ることになる。
 メインストリートの途中に広場と市庁舎があり、その瀟洒な建物の青い扉に、ちょうど若い男女が入って行った。彼らの生活の始まりを告げるのだろうか。そんな一コマさえも、この街では絵になった。
 メインストリートをさらに奥に進んで行くと、丘の登り口にポルト・ノワールがある。古代ローマ時代の小さな凱旋門で、日本語で黒い門だが、どう見ても石造りの白い門である。建造された175年の時点では黒い門だったようで、後に修復されたらしい。
 門を抜けると大聖堂がある。目を奪われるのは天文時計である。三万の部品からなるという精巧にして重厚なそれは、現在も狂うことなく時を刻み続ける。
 丘を登って行くと景色が展けてきた。芝の拡がる公園の中を、凄い傾斜で道は上っている。上りきったところに門があり、そこから先は料金が要る。
 城塞はヴォーバンの防衛施設群として世界遺産にも登録されている。ルイ14世お抱えの築城の名手で、ブザンソンはじめフランス中の国境付近に全部で12ヶ所ある。内部は美術館や博物館に、動物園まであるようだが、私は中へは入らずに来た道を引き返した。ブザンソンの街の展望は、そこからでも十分に堪能できた。
 
 
 ブザンソン駅から二十分ほど進むと、アルク・エ・スナンの駅に着く。このルートは2012年のツールドフランスのコースになったところで、緑あふれる艶やかな田園風景のなかを列車は走って行く。
 そんな田園風景のなかに、古代遺跡のように佇む建築がある。ルイ16世の命によって造られたアルク・エ・スナンの王立製塩所は、世界遺産にも登録されている。一見して古代遺跡のようにも見えるこの建築は、18世紀後半にクロード・ニコラ・ルドゥーによって設計された。今では近代建築の先駆けとされている。
 この建築が特異なのは、製塩所を中心とした円形の街づくりを具現化しようとしたことにある。しかし肝心の製塩所の運営が行き詰まったために、半円できた段階で中断を余儀なくされる。現在はまさに古代遺跡のように佇んでいるという訳である。塩水を煮詰める燃料である薪を大量に入手できる理由から、緑多いこの地が選ばれたとのことである。
 駅を降りるとそれはすぐに見えてきた。ギリシャ神殿風の門を潜ると、いちめんに芝生の拡がった半円の周囲に並ぶ健築群が目に飛び込んできた。何れも石の壁に屋根があるばかりの簡素な造りで、目を惹くような装飾はない。半円を貫く正面の道の左右に、そこだけ広葉樹が伸びている。
 建物に沿って、私は半円を辿ってみた。今となっては何でもない20世紀の工業都市のような構造を、18世紀後半にやろうとしたという予備知識がなければ、これが世界遺産だと言われてもピンと来ない。
 それでも展示室のある中央の管理棟のファサードだけは、ギリシャ神殿風の列柱に少し意匠がみられる。円筒と直方体を交互に積み重ねていて、それがこの無機質な建築群にアクセントを与えていた。展示室内には、未完に終わった円形の街全体の建築模型や、施設の成り立ちや経緯、背景などが図などを使って解りやすく示される。
 円になったはずの、半円の向こう側に出てみると、干し藁が幾つか置かれているだけの牧草地帯が拡がっていた。こんなところでワインフェスでもやったら気持ちよさそうだが、フランス人のことだから、それくらいのことはとうに、やっているかも知れない。

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