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ルーアン②

 滞在したホテルはセーヌ河岸から一本入ったところにあった。歩いて2分で大聖堂に着く。装飾とその反射による圧巻のファサードに眩暈を覚えながら、中へ入る。すると中の空間もまた、壮麗にして精緻な造りとなっていた。
 椅子がびっしりと並び、天井に向かう壁と柱は両側から迫り、レースのような精緻さで、寸分の狂いなく祭壇へと続いていた。縦横すべての線が遠近法の見本のように、奥の祭壇へと収斂されている。
 祭壇まで歩みを進めた私は、裏手に回ってみた。祭壇奥にある十字架を見上げる恰好になった。天井へと伸びる十字架のシルエットは、両側に迫る精緻な柱の列の間で、絶妙な佇まいをみせていた。
 大聖堂を出て裏手へ回って行くと、サン・マクルー教会に着く。通りからは少し奥まったところにある。小ぶりな教会だが、大聖堂に劣らず装飾が凄い。扉とその上部の彫刻が精緻過ぎて言葉が出ない。
 中の空間も大聖堂を小さくしたような感じである。両側に迫る精緻な柱の列が祭壇へと視点を誘うのも同じだが、違うのは祭壇手前の上空に十字架のキリスト像があることである。その下では、顔のない二体のキューピット像が見守るようにして付き従っているのが印象的だった。
 教会を出て、大聖堂を左に見ながら真っすぐ小径を入って行く。そこからの景色は絵になった。
 大聖堂の裏手に当たるはずの左手の壁は城壁のような重厚さが続き、右手は商店の家並みが軽快に走っている。小径にそれらが両側から迫り出しているので、青空は狭い。
 そんな窮屈で面白い一本道の先に、城砦の中にあるような塔が立っている。そこはジャンヌ・ダルクの博物館になっていた。さらに進んで行くと、大聖堂前の広場に戻る。
 広場から大聖堂を背にして入って行く道は、ルーアンで最も賑う通りとなっている。通るのは歩行者だけで、両側を色々な店が軒を連ねている。建物はこの街特有の、黒い木組と白漆喰の壁が連続していて美しい。
 しばらく進んで行くと、この街のシンボルと言われる時計台がある。それは上に建物を載せた門上にあった。人が通れるだけの小さなアーチの上の、建物の三階部分に、小さいながらもよく映える金時計が、行き交う群衆を見下ろしていた。
 装飾が多くて時刻がよく判らない。よく見ると短針しかなく、何となく6時の辺りを指している。1529年からここで時を刻み続けているというから驚きである。建物内部は時計の博物館となっている。
 通りをさらに進んで行くと広場に出る。周りのカフェのテラスは賑っていて、いかにもよくあるフランスの街の光景である。しかし広場の真ん中には、モニュメントのような、モダンな施設があった。1431年5月30日、異端審間にかけられたジャンヌ・ダルクが火刑に処せられたのが、この広場である。
 一際目立つステンドグラスは、元々ルーアンの別の場所にあった教会から移されたものである。その教会は第二次大戦で灰燼に帰したが、ステンドグラスだけは安全な場所に持ち出されて保管されたという。
 1979年、ジャンヌ・ダルク終焉のこの地に教会が建立される。戦火を免れたステンドグラスはここに採用されることになったのである。モダン建築のなかに、大きなステンドグラスが嵌め込まれてある。それは壁いちめんを彩り、礼拝堂内の無機質な事物を照らしていた。
 
 
 ルーアン滞在中、困ったことがあった。ランドリーである。いつでも大聖堂に行けるということを優先したため、ホテルにランドリーがない。ホテルが庶民的な街区にある場合、コインランドリーはたいてい近くで見つかる。ルーアンのホテルは観光エリアにあったが、私はすぐ見つかるだろうと思っていた。そしてこの誤算により、私は洗濯物を片手に、ルーアンの街を彷徨い歩く羽目になってしまったのである。
 まずホテルのフロントで、目的の場所を訊ねる。地図を渡され、示された場所は近くだったが、そこにはランドリーはなかった。そこから私のランドリー探しの旅が始まった。
 道行く人や、お店の人に訊きまくった。しかしここで困ったことがあった。「ランドリー」が通じない。フランス語を検索すればよかったのだが、思わず、「ウオッシュ、グルグル」というジェスチャー付きの超カタコトな英語で乗り切ってしまった。ある時はいきなり理髪店のドアを開けて、「ボンジュール!」からの「ウオッシュ、グルグル」。ハサミを持ったまま固まっていた店主の顔が忘れられない。営業を始めて以来、あんな珍奇な訪間者は他にいなかっただろう。
 結局通りを横切り、商店の並びを抜け、朝市の広場を通り過ぎ、見つけた場所はホテルからはだいぶ遠ざかっていた。洗濯のために半日を費やしてしまったのは、今となってはいい思い出である。

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