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コート・ダジュールと南仏の画家たち

 カンヌへやってきた。紺碧海岸の真っただ中である。ここからニース、マントンに至る海岸線はフランスでも一、二を争う景勝地であり、夏の避暑地でもあり、今や世界中から人々が大挙して押し寄せる一大観光地となっている。
 19年6月26日。駅前のホテルに荷物を置いた私が真っ先に向かったのは、海だった。フランスには梅雨がないので、6月でもビーチはそれなりに賑う。カンヌは大部分がプライベートビーチだが、といって一般のビーチでも決して芋洗いのような状態にはならない。映画祭などのイベントがある時以外は、街自体は静かである。
 海に入っている者もちらほらいたが、皆寝そべって緩やかに時を過ごしている。若者が多い。男も女も身が締まっている。日本人は太っていても貧相だが、彼らは痩せていても身体がしっかりしている、などと思うのは、ただの欧米コンプレックスだろうか。
 カンヌの海、といっても特段変わったところはない。海に入ってよく見ると、得体の知れない物が浮いていたりもする。それでも、ここがカンヌであるというだけで、特別な気分になれる。
 カンヌの街は小振りではあるが、場所によって違う顔を持っている。誰もが連想するセレブなイメージは、目抜き通りから海岸沿いの一角だけで、毎年5月の映画祭の時期になると、世界的なセレブ・スターが集結し賑いをみせるのも、このエリアである。
 一方で、そこから歩いて5分くらいしか離れていない駅前を中心としたエリアには、案外普通の街が拡がっている。時期を外せば、ホテルもこの辺りは比較的安価でそれなりのところに泊まれる。
 海岸沿いから坂を上がって旧市街までやって来ると、小綺麗なかわいい街が展開される。レストランやカフェが多いのはこのエリアである。小高い丘へ登る坂道一帯が旧市街となっていて、いかにも南仏らしい暖色系の壁とカラフルな窓が路地を彩っている。
 それぞれに違う味わいだが、共通しているのはきれいなところで、庶民的な街区もかわいい旧市街も洗練されている。フランスの街でよく見かける犬の落し物も、この街では見当たらない。
 カンヌは映画祭などのイベントの時期を外せば、ニースなどのような喧噪はなく、過ごしやすい町である。まずカラッとした空気。青い海を前に、強い光のなかにある小綺麗な町。良くも悪くもそのイメージを出ない。
 プライベートビーチが長く続いているのもあって、庶民が集まる海水浴場でもない。ブランドショップが並ぶ目抜き通りも、普段は人通りも少なく静かである。歩くなら旧市街がいい。
 まずは映画祭の会場でおなじみのパレ・デ・フェスティバルを通り過ぎる。レッドカーペットの階段前は、セグウェイ体験ツアーの一群が見物するばかりで、がらんとしている。港を抜けるとすぐ細い路地の坂道が始まり、そこはもう旧市街である。
 少し登ると丘の上に出る。店のオープンテラスでトマト盛りだくさんの地中海式のサラダを頬張る。それが私のカンヌのひと時である。坂を降りる途中、町の吹奏楽団とおばしき一群と擦れ違った。楽団の奏でる明るくもどこか侘し気な音は、妙にこの街に溶け込んでいた。
 カンヌの駅から海とは反対側へ一本道を真っすぐ進むと、ル・カネという町に着く。歩いても30分くらいだが、バスが頻繁に出ている。
 そこは丘になっていて、カンヌの町と地中海を眺望できる絶好のロケーションである。ここに、ピエール・ボナールの美術館がある。あちこちと旅をした色彩の画家の、終の住処となったのがこの地である。
 南仏の光を得たボナールの絵は、より明るく、色彩豊かになって行く。マティスと同世代のこの画家の生きた時代は、印象派や新印象派、セザンヌからフォーヴィスムと、次々と流行が発せられ、絵画が革新して行く真っただ中にあった。
 しかしその作風は、同時代それぞれの影響を受けながらもその何れとも違う、どこか摑みどころのない感じを受ける。明るく柔らかいその画面は印象派のようでいて、ただの印象ではない何かを含んでいる。
 ボナールがこの地で描いた約300点の絵画のうちの半数以上が、風景画ではなく室内画というのもこの画家を特徴づけている。家の前から光に包まれたカンヌの町と地中海を描いた絵も多いが、室内の制限された光の中での柔らかで親密な情景は、この画家の大きなモチーフとなった。妻マルトをモデルにした浴室の裸・シリーズも、ここで描かれた。
 今やあらゆる展覧会で、目にすることも多いボナールが過ごしたル・カネは、今も強い光に包まれ、爽やかな風が流れている。

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